ソウル集会 「東アジアの和解と平和の道を問う」 に参加して

松浦 由佳子
プロテスタント教会信徒

  2019年9月26日(木)~27日(金)の2日間、中井淳神父様はじめ13名の日本からの参加者の方とともに、ソウル集会に参加させていただきました。両国政府の関係が冷え込む中で、日韓関係の改善を願い、祈り、行動する両国のお仲間に混ぜていただいたことを心から感謝し、その概要と感想をお分かちいたします。
 

シンポジウムの概要
  この集いは昨年、名古屋で「東アジアの和解と平和ネットワーク」として初めて開催され、それを受けて今年はソウルで開始されることになったと伺いました。それもあり、初日のシンポジウム会場のイエズス会センターは再会を喜ぶ和やかな雰囲気に満ち、友情が育まれてきたことが初参加の私にも感じられました。韓国からは聖職者、研究者、信徒50名ほどが参加し、韓日の平和への思いや取り組みがエネルギッシュに分かち合われました。講演・発題はすべて日韓両語で一冊にまとめて配布され、同時通訳もあり、主催者のきめ細やかな配慮のおかげでよく理解することができました。

  密度の濃いプログラムで、午前中には議政府(ウィジョンブ)教区長イ・ギホン司教様による基調演説「キリスト者に与えられた和解の使命」と、カトリック東北アジア平和研究所ビョン・ジンフン研究委員長の基調発題「東アジアの和解と平和のための韓日キリスト者の平和使徒職」がありました。午後は和解と平和に向けた取り組みを紹介する3つの発題があり、日本からはSr.古屋敷一葉さん(広島教区平和の使徒推進本部、援助修道会)から「韓日歴史問題に関するカトリック教会の立場――日本司教団のメッセージを中心に」、イエズス会社会司牧センターの柳川朋毅さんから「日本のカトリック青年が眺めた日韓の歴史と平和:イエズス会平和青年プロジェクトへの参加を分かち合う」がありました。韓国からはパク・ユミさんの「脱核平和のための韓日カトリック教会の交流と連携」の報告があり、それぞれの発題に対する質疑応答がありました。その後、小グループで「平和の使徒」としての各人の行動プランの分かち合いがあり、最後に「韓日キリスト者平和宣言」が決議されました。「キリストの平和」をなす「神様の道具」となること、神以外のいかなる力の作用も排除し、平和使徒職として目指す霊性とその源泉である「無からの創造」を目指し、韓日のカトリック信徒、そして世界の隣人たちと連帯して主にある平和の道の模索を志向する、という内容の宣言です。

  講話・発題の内容はシンポジウムの冊子をご覧いただくとして、特に私の思いが向かったのは謝罪をめぐる国と教会の働きでした。「和解には謝罪が先行する必要がある」、「謝罪がなければ被害者が置いてきぼりになる」といった声が、特にビョン・ジンフン研究委員長の講演に対して多く寄せられたと理解しています。侵略の歴史を否定し、嫌韓の演出を進める日本の現政権に向き合うことが確かに必要と思います。と同時に、旧約の王国分裂時代に主の目にかなう王と悪事を行う王が次々と交替し、治世が揺らされ、民が翻弄される中でも主を信じる預言者たちが繋いできたバトンを日韓の教会が受け継いでいることを思いました。揺り返しの中で政府がどんな状態でも、また内に多様な意見があっても、日韓の教会がとこしえに揺るがない同じ基の上に据えられ、一つとなり、神と人に仕える喜びの中を歩むことができる共同体なのだと感じられたシンポジウムでした。
 

DMZ生態平和ツアー
  シンポジウムの翌日は、平和巡礼のバスツアーでした。非武装地帯(DMZ)に沿って韓国側に設置された民間人統制区域の自然の中をDMZ生態研究所長キム・スンホ先生の案内で散策しました。民間人統制区域内に入るには事前申請が必要で、検問所で身分証の確認があり、限られたルートしか通行できません。皮肉なことだけれどDMZがあるゆえに手つかずの自然が残り、季節ごとに渡り鳥が飛来し、豊かな生態系が保たれてきたと生態研究所長は言います。自然が守られた一方、そこに生きる人々の生活には大きな制約が課せられ、自分の土地であっても滞在時間が限られていました。橋のたもとで原始林を眺め、説明を聞く私たちの横を「急いでいるから、道を開けて!」と叫ぶ農婦を乗せた一台の軽トラックが通り過ぎました。DMZの北側に親族がいるのでしょうか、様々な制約にもかかわらずこの地にとどまり、自由に行き来ができる日を待ち望んでいる方々の望郷の念と、生活の労苦は計り知れません。戦争によって分断され、裂かれた家族があるかたわら、経済開発による破壊を免れた自然があることに、人間の営みとは何なのだろうと考えさせられました。

彼らは剣を打ち直して鋤とし、
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣をあげず、
もはや戦うことを学ばない。 (イザヤ2.4)

  イムジン河を眼下に北朝鮮をのぞむ丘で捧げられたごミサで、韓日両語で読まれたこの御言葉が暗闇の灯火となり、主の眼差しは確かにこの地、この世界に注がれ、平和の計画が用意されていると励ましを受けました。人間の営みから戦を退けることができるのは、ただ神のみ。そのみもとで一緒に祈り、活動する韓日の仲間が与えられたこと、この祈りと行動の輪に加わる人、特に若者を増やすにはどうしたらよいかと山道を歩きながら韓国の若い参加者と語り合えたことも大きな恵みでした。
 

最終日の分かち合い
  帰途につく前のわずかな時間、日本からの参加者の間で分かち合いの時を持ちました。在日韓国人として参加した一人の方が、プログラムの中での発言に傷つき、憤りを覚えたことを打ち明け、また「和解」という言葉が時に暴力性をはらむことをお伝えくださいました。論文「和解という名の暴力」(徐京植『植民地主義の暴力』、高文研、2010年より)に触れながら、謝罪なしに和解を求めるのは、被害者の苦悩を脇に置き、無理やり歩み寄らせ、赦すことを強要する暴力行為に等しいという指摘にハッとさせられました。前職で政府開発援助に携わる中で、当事者の思いに向き合う以前に、和解や平和構築という言葉を軽々しく使ってきた自分を省みました。また日韓の狭間で苦しみ続けてきた在日の方々に、赦しを乞わねばならないのに、国のフィルターがかかる謝罪や平和の議論ではどうしても、国と国の狭間にある在日の方々の存在を見落としがちであることにも気づかされました。

  日韓関係とその狭間に置かれた在日朝鮮人・韓国人の歴史の重さ、酷さに私は圧倒されてしまいます。無知、想像力のなさ、視野の狭さゆえに、苦しんできた方々を私の言動がさらに傷つけてしまうのではないかと恐れがあります。けれどこの短い分かち合いのなかで、自分が傷ついたことをストレートに伝えてくださった彼女の発言が対話を切り開く大切さを教えてくれました。人々を分断させようとする悪霊の働きが強まっている今、言葉や行動で相手を傷つけ、また傷つけられることを回避するために、対話をやめ、互いに無関心になっていく脆弱性が増しているように感じます。また全体主義も広がっています。だからこそ、傷つきながらも「対話」を続けることが必要なのだと強く感じた分かち合いでした。
 

  最後に、企画してくださった中井淳神父様、充実のプログラムの運営に携わった韓国側主催者の皆様、そして今回の旅で出会えた皆様、ありがとうございました。

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