カトリック教会として考える 「天皇代替わりと政教分離・信教の自由」

光延 一郎SJ
日本カトリック正義と平和協議会秘書

  2019年4月30日、カトリック日本キリスト教協議会(NCC)日本福音同盟(JEA)日本バプテスト連盟関係者による「違憲状態の天皇の代替わり儀式」に抗議する記者会見が、日本基督教団信濃町教会にて行われました。カトリック正義と平和協議会として、次のようにコメントしました。
 

  1.今回の天皇代替わりに関連して、日本カトリック司教協議会は、すでに昨年、2018年2月22日に内閣総理大臣宛てに「天皇の退位と即位に際しての政教分離に関する要望書」とのメッセージを発表しています。それは、以下の通りです。

  2019年4月30日に今上天皇が退位され、翌5月1日に新天皇が即位されます。
  前回の天皇逝去と即位に際しては、皇室の私的宗教行事である大嘗祭を「宗教色はあるが公的性格をもつ皇室行事である」として、それに国費を支出し、三権の長が出席しました。また国事行為である即位の礼にも宗教的伝統を導入しました。これらは日本国憲法の政教分離原則にそぐわないと考えます。
  そして昨日(2018年2月21日)の報道によると、今回の大嘗祭においても前回を踏襲する方針が示されました。私たちはそれを大変遺憾に思います。
  日本国憲法の政教分離(憲法第20条)の原則は、日本がかつて天皇を中心とした国家神道のもとで戦争を行い、アジアの人々をはじめ世界の多くの人々の人権と平和を侵害した歴史への反省から生まれたものです。この不幸な歴史を決して忘れず、同じ轍を踏まないようにする責任を日本政府は負っています。
  そのために、私たちは次のとおり要望いたします。
  「天皇の退位と即位に関する一連の行事にあたって、日本国憲法が定める政教分離原則を厳守し、国事行為と皇室の私的宗教行事である皇室祭祀の区別を明確にすること」

 

  2.前回の昭和から平成への天皇代替わりをふり返ってみれば、日本カトリック司教協議会からは、カトリック信徒宛て、カトリック教会の司祭・修道会宛て、そして内閣総理大臣宛てに、都合4回にわたり、主に政教分離と信教の自由を厳守することを求めるメッセージが出されました。

  カトリック信徒に向けては、昭和天皇の在位期間に、天皇の名において行われた戦争において、日本を含むアジア・太平洋地域で2千万以上のカトリ人々が犠牲となったこと、その責任を天皇が担っていたことを思い起こしました。そしてカトリック信徒は、1981年に訪日した教皇ヨハネ・パウロ二世が広島で語った「過去をふり返ることは、将来に対する責任を担うことです」との言葉に基づき「昭和における過ちを償う心をもって、世界の平和のために貢献する決意を新たにいたしましょう」と呼びかけられました。また天皇の「葬儀·即位の諸行事、それをめぐっての政治、社会の動きの中で、人間を神格化したり、人が作った制度を絶対化したり、特殊な民族主義を普遍化したりすることがないように注意を払い、究極的にはキリストにおいてこそ全人類の一致と交わりが達成されるという私たちの信仰を再確認いたしましょう」と言われました。
 

  3.カトリック教会の司祭・修道会に向けては、もう一歩踏み込み、日本古来の神道と、明治以降、特殊なかたちで天皇制と結びついた「国家神道」が明確に区別されるべきことが訴えられました。すなわち「国家神道の時代には、日本人のみならずアジア諸国の人々までが天皇とその国に対する絶対の従順を強いられましたが、このように人間や人間の作った制度を絶対化することは、それがいかなるものであっても、私たちとしては認めることはできません」とします。
 

  4.このように、カトリック教会は、かつて日本という国が、国家と宗教と武力を一体化し、本国のみならず、特にアジアの人々の生存と基本的人権、平和を侵害したこと、またカトリック教会自身も国家神道による天皇の神格化と皇国史観に基づく全体主義に屈服し、日本の軍国化と戦争遂行に協力したことへの反省から、日本国憲法に明記される「政教分離、主権在民、戦争放棄」の基本原則を政府が厳守し、それをもって日本が世界平和に貢献することを望んでいます。

  今回の新元号移行と天皇代替わりにあたっても、それが政治利用され、戦前戦中のように、自らが選民であるかのようにみなす国家主義・民族主義、差別やヘイトをもたらす不寛容な力、また軍国主義によって人々が支配統制され、人間の尊厳と人権、そして自由と多様性が脅かされることがないことを強く求めるものであります。

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