時間は空間に勝る 〜教皇とともに歩む平和の道〜

幸田 和生
カトリック司教

  2019年11月、フランシスコ教皇は日本を訪れ、1981年に訪日したヨハネ・パウロ2世教皇と同様、広島・長崎を訪問して平和についての訴えをされると聞いています。そこで、現教皇の平和についての教えをあらかじめ学んでおきたいと思います。

 
I. 使徒的勧告『福音の喜び Evangelii Gaudium』2013年(以下EGと略す)
  この文書は教皇になられた年に発表された重要な文書です。その第4章「福音宣教の社会的次元」の中に「III 共通善と平和な社会」という項があります。

  「平和な社会とは、融和でも、あるいは単に、他の一部の社会を支配することによって暴力がなくなることでもありません。平和が、貧しい人々を黙らせ鎮める社会組織の正当化の口実となるならば、それは偽りの平和も同然です。」(EG218)

  「すべての人の全人的発展 integral developmentの実りとして生まれたわけではない平和は、未来に向かうものではなく、つねに、新たな紛争と種々の暴力の火種となるのです。」(EG219)

  ここでは平和が単に戦争のない状態ではなく、すべての人のあらゆる面での発展(幸い)を求める中で築き上げられるものであることが強調されています。また平和を実現するための政治への参加は、市民にとって大切な務めであることも指摘されています。「責任ある市民であるということは徳なのです。そして、政治生活への参与は道徳的な義務です。」(EG220)

  さらに平和と正義と兄弟愛をもって国民形成を進めていくための四つの原理が語られます(EG221)が、それは「時は空間に勝る」「一致は対立に勝る」「現実は理念に勝る」「全体は部分に勝る」という四つです。ここでは特にその最初の原理について考えてみましょう。

 
II. 「時は空間に勝る Time is greater than space」という原理
  「この原理は、早急に結論を出すことを迫らず、長期的な取り組みを可能にします。また、困難であったり反対を受けたりする状況に辛抱強く耐えることや、力強く動く現実によって迫られる計画の変更を助けます。」「空間を優先させることは、現在の時点ですべてを解決しようとする、あるいは、権力と自己主張が及ぶ空間すべてを我が物にしようとするという愚かな行為へと人を導きます。」「時を優先させるということは、空間の支配よりも、行為の着手に従事するものです。」(EG223)

  要は問題を一気に解決しようとせずに、時間をかけて対話と相互理解を積み重ねていくことが、平和のために大切だということです。問題を空間的に見て、今すぐに解決しようとするときに、軍事的な力に頼ることになりがちだからです。

  なお、この「時間は空間に勝る」という原理は、別な文脈の中ですが、フランシスコ教皇の他の文書でも繰り返されています。たとえば、回勅『ラウダート・シLaudato Si’』178項(2015年)、使徒的勧告『愛の喜びAmoris Laetitia』3項(2016年)など。

  それはさておき、平和に関しては、息の長い取り組みが必要だとするのが、この「時間は空間に勝る」という原理の意味するところです。日本カトリック司教団は戦後70年にあたっての司教団メッセージ『平和を実現する人は幸い ~今こそ武力によらない平和を』(2015)でこのことを次のように分かりやすく表現しようとしました。

  「わたしたちにできることは、すべての問題を一気に解決しようとせずに、忍耐をもって平和と相互理解のための地道な努力を積み重ねることです。」

 
III. 1月1日「世界平和の日」の教皇メッセージ
  フランシスコ教皇はパウロ6世以降の歴代教皇同様、毎年1月1日の世界平和の日にあたって、メッセージを発表しています。そこでは、現代の奴隷制や移住者と難民の問題など、その都度、優先的に考えなければならない問題を扱ってきた傾向がありますが、第50回世界平和の日にあたる2017年には「非暴力、平和を実現するための政治体制」と題し、平和を作るために、暴力より非暴力が重要であることが明言されています。

 
IV. 核兵器廃絶と包括的軍縮のための教皇庁国際シンポジウムでのあいさつ(2017.11)
  核兵器廃絶に関してフランシスコ教皇は強い思いを抱かれていると言われています。実際、2017年7月7日に核兵器禁止条約が国連において122の国と地域の賛成により採択されたとき、バチカンはその最初の批准国の一つになりました。同年11月10日には、教皇庁主催で国際シンポジウム「核兵器のない世界と包括的軍縮の展望」が開かれています。そのときの教皇のあいさつの中にも大切な言葉があります。

  「何らかの事態による偶発的爆発の危険も含め、核兵器使用の脅威、またその保有自体も、断固非難されるべきです。まさにその存在が、対立の当事者にだけでなく、全人類に対して、恐怖の論理として機能するという理由からです。国際関係は、軍事力、相互威嚇、軍事兵器の誇示によって制御できるはずがありません。大量破壊兵器、なかでも核兵器は、偽りの安心感を与えるに過ぎず、人類家族の中での平和的共存の基盤とはなれません。その意味で、被爆者のかたがた、広島と長崎の爆弾で被害を受けた人々、また核実験による犠牲者の証言は貴重です。そのかたがたの預言的訴えが、とりわけ若い世代にとって、警告となるはずです。」

  「つい先日、国連での歴史的投票によって、核兵器は人道法に反するばかりか戦闘手段としても違法であることを、国際社会の大多数が言明しました。化学兵器、生物兵器、対人地雷、クラスター爆弾、これらはすべて国際協約によって明確に禁じられた兵器であるので、法の抜け道はふさがれました。さらに重要なのは、こうした結果の大部分は、市民社会、国家、国際機関、教会、学術団体、専門家グループの間で結ばれた有効な協定で進められる『人道イニシアティブ』によるものだということです。」

  ここではまた、ヨハネ23世、パウロ6世教皇の教えに基づき、核兵器禁止だけでなく、包括的軍備縮小の必要性がはっきりと述べられています。

 
まとめ
  わたしたちは教皇のこれらの言葉から何を学んだらよいのでしょうか。

  平和は、すべての人を、その一人ひとりを兄弟姉妹として尊重することの実りだということは大切です。ただ戦争を避けるというだけでなく、すべての人の人権を守り、すべての人の幸いを目指す歩みの中で平和は実現していくのです。

  ナショナリズムが強調される傾向には断固として反対しなければなりません。すべての人はどんな国籍であれ、どんな人種・民族であれ、互いに兄弟姉妹なのです。他国の人に対する差別感情、難民や移住者の苦しみに対する無関心を乗り越える必要があります。

  軍縮か軍拡か、という問いも非常に重要です。明日からすぐに自衛隊をなくすとか、日本の防衛費をゼロにするというのは無理でしょう。しかし、北朝鮮の脅威・中国の海洋進出などを強調し、防衛費を増やし続けるのか(これが今の日本の現実です)、それとも縮小する方向に向かうのか。軍事力で国を守るということを国の基本に置かず、対話と交渉によって平和を築くことを国の基本に置くのが日本国憲法の考え方です。この日本国憲法が防衛費の増大に歯止めをかけてきたことは間違いありません。この憲法を変えることはその歯止めを失い、果てしない軍拡につながります。今、軍縮に向かうのか、軍拡に向かうのか、そこを見極める必要があります。

  最後に、わたしたち市民一人ひとりに、政治に参加し、平和を作るために働く責任があることも教皇の教えから学ぶべきことであると言えるでしょう。

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