死刑を止めた米国ワシントン州を訪ねて

柳川 朋毅
イエズス会社会司牧センタースタッフ

  2019年3月、イチロー選手が米大リーグ引退を発表したまさにその頃、私たちはマリナーズの本拠地である米国シアトルにいました。もちろん、野球を観戦するためではなく、ある調査のために訪れていたのです。

  シアトルのあるワシントン州では2018年10月、州の最高裁が一つの死刑事件に関して違憲の判断を出し、実質的に死刑廃止が実現しました。私たちは、弁護士、刑事政策や刑法の学者、市民活動家など11名からなる調査団を結成し、どうしてそのようなことが可能になったのか、現地を訪れて様々な当事者・関係者に話を聞くことにしたのです。

  実は全米でもワシントン州でもこれまでも何度か、死刑が違憲であるという判断が出され、その都度死刑がなくなっては後に復活するということを繰り返してきました。けれども全体としてみれば、死刑の判決も執行も時代とともに減少を続け、現在では20以上の州で死刑廃止が実現し、死刑の執行停止(いわゆる「モラトリアム」)を宣言している州も数州あります。

  私たちが渡米する直前の3月13日、カリフォルニア州のニューサム知事が、死刑執行停止を宣言しました。州内には全米の約4分の1にあたる700名以上の死刑囚がいるため、とても大きな影響のある決断です。今回の視察を現地でコーディネートしてくれたのは、普段はカリフォルニア州のDeath Penalty Focusという死刑廃止団体で活動をしている大谷洋子さんでした。彼女を通して逐一入ってくるカリフォルニア州でのHOTなニュースにも、私たちは興味津々でした。
 

  西海岸北部に位置するワシントン州は、全米の中でもとりわけリベラルな州の一つです。ワシントン州でも実はすでに2014年にインズレー知事が執行停止宣言を出していたので、死刑は実際には停止している状態でした(最後の執行は2010年)。そうした状況の中、州最高裁は昨年10月、グレゴリー事件という死刑事件をめぐる裁判で、死刑は違憲だと判断したのです。

  その時点で、ワシントン州には8人の死刑囚がいました。アレン・ユージン・グレゴリーはその8人のうちの一人です。アフリカ系アメリカ人の彼は、1996年に起きた白人女性へのレイプ・殺人事件の犯人として、死刑判決を受けました。犯行当時、彼は若年者でした。

  ワシントン大学のキャサリン・ベケット教授の研究が、昨年の違憲判決に極めて需要な貢献をしました。彼女は法律家ではなく社会学者として、ワシントン州におけるこれまでの死刑判決と終身刑判決を社会学・統計学的見地からつぶさに検証したところ、死刑判決が出される際には明らかに人種間の有意差が確認できる(黒人は白人の4倍以上も死刑になりやすい)という結論に達しました。弁護士たちがそれを論拠に裁判を闘った結果、人種的不均衡が確認できる死刑というものは、州憲法が禁じている残虐な刑罰にあたり、違憲であるとの判断を勝ち取るに至ったのです。

  ワシントン州における死刑を考える上で、避けて通れない事件があります。1980年代に全米を震撼させた、グリーン・リバー殺人事件と呼ばれる連続殺人事件です。ゲイリー・リッジウェイという白人男性が、判明しているだけでも48人以上を殺害した事件で、今なおその被害の全容は明らかになっておらず、彼の証言によればもっと多くの犠牲者がいるとされています。米国犯罪史に残る大量殺人を行った彼は、未発覚の他の事件についても証言することと引き換えに、死刑ではなく終身刑になりました。何十人も殺した白人が終身刑で、一人を殺した黒人が死刑というのでは、確かに不公平な印象を受けます。憲法を武器に、人種差別という観点から死刑廃止への突破口を開いた、なんとも米国らしい闘い方といえるでしょう。

  こうした闘い方は、単に担当弁護士だけの手柄ではありません。もっとも、米国の公設弁護人には、日本の国選弁護人とは比較にならないほど高額の訴訟費用が保障されており、それが質の高い弁護活動を可能にしているという側面は無視できません。さらに、そうした高額な裁判費用(死刑事件一件あたり1億円以上かかる)ゆえ、死刑はコスト的に高くつきすぎるので、自ずと抑制的になるという効果もあります。私たちはベケット教授やグレゴリー事件の弁護士たちから直接お話を伺うこともできましたし、またこの裁判を死刑廃止のために戦略的に支援した、アメリカ自由人権協会(ACLU)ワシントン州死刑廃止連盟(WCADP)といった人権団体にも話を聞きに行きました。

  また、検察側のキーパーソンともお会いすることができました。シアトルの位置するキング郡の検事正は、地元紙のシアトル・タイムズに死刑問題に関する論考を寄稿するほどの人物でした。日本的な検察のイメージ、つまり閉鎖的で不透明で、組織の保身を何よりも優先させるものとはかけ離れていて、「公益の代表者」としての自らの使命を自覚するとともに、その職務に誇りを持っている様子が伝わってきました。
 

  今回、死刑に加えてもう一つ大きな調査目的だったのは、仮釈放のない終身刑(Life without Paroleを略してLWOPと呼ばれる)の実態についてです。私たちはシアトル近郊にある、モンロー刑務所を訪れました。もっとも、モンロー刑務所にはそもそも(元)死刑囚はおらず、本当は彼らのいる最重警備度のワラワラ刑務所に行きたかったのですが、遠方すぎるために断念しました。さらに、個人的に今回の調査旅行で一番期待していた終身刑受刑者たちとの面談は、残念ながら当日施設で起きたハプニングのため叶いませんでしたが、後日、こちらからの質問に書面で回答してくれた受刑者もいました。

  撮影は許可されなかったため、刑務所内の様子を伝えることは難しいですが、アメリカ映画やドラマでよく見る光景が広がっていました。居房にテレビがあったり、談笑しながら労働(強制労働と非難される日本の刑務作業と異なりあくまで任意)やゲームをしていたりと、日本との違いも目立ちます。刑務所から出るごみをゼロにすべく、ミミズやウジを使ったコンポスト装置の性能を力説する職員の姿も印象的でした。

  とりわけ驚いたのは、受刑者がパートナーや家族と一晩共に過ごせる住居が用意されていたことです。もっとも、これはアメリカでもごく一部の州でしか設置されていないようですが、たとえ夫婦や家族であってもアクリル板越しに10~30分程度の面会しか許されない日本とは雲泥の差です。そもそも、外部との交通に対する考え方が、極力制限をかけようとする日本とは正反対です。手紙だけでなく、Eメールやテレビ電話なども、原則検閲はされるものの、比較的自由に発信できるそうです。

  確かに、アメリカの刑務所が手放しで素晴らしいといえるかというとそうではなく、決して人道的とはいえない部分も多く残っています。さらに、終身刑という刑罰そのものが抱えている非人道性に目をつぶることもできません。現に私たちの質問に書面で回答してくれた受刑者たちの手紙を読む限り、終身刑を「緩やかに執行される死刑」と表現するなど、希望を持てない状況がいかにつらいかが伝わってきます。

  また、アメリカではもう一つ深刻な問題として、終身刑判決の乱発ということもあります。特に問題とされるのは、「三振法」という悪名高い制度です。重罪の前科がすでに2回ある人が、3回目に何らかの罪で有罪判決を受けた場合、それがたとえ軽微な罪(たとえば万引き)であったとしても、自動的に終身刑になってしまうのです。死刑がなくなった今、今度は終身刑が抱える諸問題に取り組む必要があると、今回お会いした方々は皆、口をそろえて語っていました。
 

  ワシントン州最大の都市はシアトルですが、州都はオリンピアという市です。私たちは州議会や州最高裁を訪れるために、オリンピアへも行きました。長年死刑廃止法案を提出し続けている何名かの州議員(いずれも民主党)たちとの面談が叶いました。

  州行政の長である知事が2014年にモラトリアム宣言を出し、2018年には司法のトップである最高裁が違憲の判断を出しましたが、残念ながら現時点でもなお、法律上は死刑が残されたままです。州の議員たちは、そうした動きを歓迎する一方で、立法府としての自分たちに残された役割、つまり法律上の死刑全廃と刑罰制度改革の必要性を強く自覚していました。アメリカの民主主義において、三権分立がとても健全に、かつ創造的に機能していると感じました。

  その後、州会議事堂の向かいにある最高裁判所を訪れ、2人の最高裁判事から話を聞いた際にも、そのことを強く感じました。2人とも、裁判官という自らの職務を自覚した上で、私たちの質問に、裁判所としての立場と、個人としての考えを明確に分けつつ、真摯に答えてくれました。日本の最高裁判事がこうした取材に応じるなどということは、想像すらできません。

  今回の調査を通じて特に強く感じたのは、正義や公正という価値観をとりわけ重視するアメリカの社会でした。トランプ大統領の誕生によって、米国における死刑廃止は停滞ないし後退するのではないかと正直危ぶんでいましたが、なかなかどうして、一歩ずつ着実に進んでいる様子に、米国の民主主義の底力を感じました。そう遠くない将来、きっとアメリカからも死刑はなくなるでしょう。さて、日本はどうでしょうか。

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