外国人労働者への門戸が開かれた ――新たなパンドラの箱

安藤 勇SJ
イエズス会社会司牧センタースタッフ(移民デスク担当)

  日本では新年度が始まったばかりです。例年どおり、春のこの時期には桜が満開ですが、今年は日本社会に新たな社会変化の風が吹いています。

  今年の新年度は二つの大きなイベントをもたらします。日本の天皇が退位し、古い伝統に従って、新天皇が即位する5月1日から新しい時代が始まるとされます。4月1日、「令和」という新元号が、伝統的な儀式の中で公式発表されました。その結果、5月1日に新天皇が即位すると、公文書の日付や暦などを変更しなければなりません。

  もう一つの大きな出来事も、日本社会の様相を変えました。4月1日から、日本は近代史上はじめて、外国人労働者へと正式に「開国」しました。日本にはすでに多くの外国人労働者がいますが、4月1日からは「単純労働者」も日本で働くことが正式に認められました。さらに、私たちが入国管理「局」と呼び習わしていたものは、外国人労働者の増加に伴い、出入国在留管理「庁」という独立した機関に昇格しました。

  2018年の10月以降、35万人以上の外国人労働者を日本に受け入れるという法案が、国会内で様々な政党によって激しく議論され、マスメディアでも注目を集めていました。政府は5年以内に受け入れるべき労働者の明確な数(35万人)を提案し、外国人労働者を受け入れるための二種類の在留資格を示しました。野党側は政府の政策を批判し、政策提案者は不満を漏らしましたが、企業は日本の人手不足を補うために若い人々が来てくれることを喜んでいるようでした。

  一方で、政府は日本に馴染まない「移民」政策はとらないということを明言していますが、それには疑いの余地があります。実際、現実には何が起きたのでしょうか? 日本政府は門戸を開き、「日本へようこそ!」と言ってゴー・サインを出しています。しかし現実には、来日したばかりの人が日本で暮らし、生き抜くために必要な多くの構造は手つかずのまま残されています。

  日本側から見れば、このような政策の目的は単なる「経済的」理由です。日本経済は人手不足に苦しんでいます。それはとりわけ、介護、農業、漁業、建築、飲食、宿泊業界などの多くの分野で深刻です。数多くの中小企業では特に、若い労働者が不足しており、これが日本社会全体に深刻な影響を及ぼしています。私たちは、これらの新しい政策の裏にある考え方は、単に経済的な観点であるとはっきり言うことができます。それは文化の領域や教育訓練にまで及ぶものではありませんし、日本での就労を許可された労働者の利益に役立つものでもありません。

  確かに、新たにやってくる労働者の大部分は、ベトナム、インドネシア、フィリピンなど東アジア諸国の出身者でしょう。こうした国の若者たちは、仕事に飢えています。自国は成長の途上にあり、農村部は依然として貧しいままです。このように、人手を必要とする日本と、働く機会を必要とするアジアの発展途上国との間で、お互いのニーズは一致しています。経済的に考えると、日本企業は経済成長を続けることができますし、外国人労働者は自分自身や家族を養うための収入を得ることができます。

  こうした公式見解は、確かに現実ではありますが、決して十分ではありません。
 
パンドラの箱?
  日本は外国人労働者に門戸を開き、彼らに何千もの雇用の機会を提供しました。これを信号でたとえるなら、政府はいわゆる「ブルーカラー」労働者が日本に入国するのを妨げていた赤信号を切り替え、多くの青信号を点灯させました。彼らを受け入れるようにはしましたが、既存の構造の大部分は変更されないままに残っています。言い換えれば、適正な契約、語学研修、生活施設、教育技能の向上、安全の保証、家族の呼び寄せといったことはどれもお金がかかるので、民間部門の裁量に任されています。外国人の若者は負債、つまり返済しなければいけない借金を背負って日本にやってきます。多くの人が日本語学校で日本語のさらなる学習を必要としていますが、どうやって学費を払うことができるのでしょうか?(東京での平均的な学費は通常、年間60万円以上します)

  外国人労働者がビザ更新への影響を受けずに職場を変更することは可能でしょうか? 政府は外国人労働者が都市部に集中することなく、農業や漁業、建築業や家事労働に従事することを期待しています。日本の若者は通常、そうした労働条件の悪い仕事に就きたがらないからです。どうしてそのような規制が海外から日本に働きに来る若者たちにのみ課されているのでしょうか?

  仕事に関しては、民間企業が、行われた労働と引き換えに給与を提供します。実際、外国人労働者に支払われる賃金は通常の日本人に支払われる賃金と同等でなくてはならないという法規制にもかかわらず、外国人労働者に与えられる報酬の額は、「利益」を主目的とする民間企業に委ねられています。労働者差別が存在していますし、経験から言っても、それがなくなることはないでしょう。

  日本における働き方の構造的変化は、重要な社会問題となっています。より柔軟で多様な働き方が、今日の日本人の生活において極めて重要であると考えられています。馴染みのない環境に入るための準備がさほどできていない外国人労働者への要求は、結果的に新たな労働者により大きな負担をかけるでしょう。

  これらすべて、また他の多くの状況が、私にはまるで「パンドラの箱」のように見えます。予期せぬ現象が詰まっているからです。

  日本政府は「移民」政策はとらないと正式に主張しています。確かに、社会構造に深く触れることなく新しい政策がどのように実施されているかを単純に分析するならば、単なる「一時的な」歓迎を示しています。けれどもその背後に隠されている考えはまるで、「来て、しばらくの間働いて、そうしたら自国に帰れ」と言っているかのようです。

  それにもかかわらず、人手不足を補うために日本社会で働きたいと願う多くの外国人が到来することは、必要な社会変化をもたらし、社会に様々な文化的交流を生じさせるための重要な課題です。

  カトリック教会はすでに外国人コミュニティーとの多くの活動を始めており、そしておそらくこれからはさらに重要な課題に直面することになるでしょう。

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