「正義と平和」名古屋大会2018 第7分科会

私が牢にいたときに訪ねてくれた ~死刑囚との交流から~ 

柳川 朋毅
イエズス会社会司牧センタースタッフ
日本カトリック正義と平和協議会「死刑廃止を求める部会」

  2018年11月23日・24日の二日間、第40回目の「日本カトリック正義と平和全国集会」が名古屋で開催されました。「共に生きる地球家族 ~今問われる私たちの選び、私の決意~」というメインテーマのもと、1日目には世界のゆがんだ経済格差についての全体会が、2日目には全部で16もの分科会が開かれました。

  私たち日本カトリック正義と平和協議会「死刑廃止を求める部会」が主催した第7分科会は、死刑囚と長年交流を続けてこられた4名のキリスト者をお招きし、「私が牢にいたときに訪ねてくれた ~死刑囚との交流から~」と題した特別シンポジウムを行いました。日本聖公会正義と平和委員会にも共催いただきながら、登壇者も参加者も、とてもエキュメニカルな形で開催することができました。7月にはオウム真理教関係の13名の大量執行があり、その後『カトリック教会のカテキズム』の死刑に関する項目(2267項)の改訂があったせいか、予想以上に多くの人が集まり、会場のカトリック膳棚教会パウロ館は超満員となりました。

  冒頭、司会進行である私から、日本に112名(当時。袴田巖さんを含む)いる確定死刑囚の置かれている現状について簡単に説明をしました。拘置所での処遇は、食事や睡眠、入浴、運動といった日常生活上の制限に加えて、面会や手紙で他者と交流することが厳しく制限されています。そうした中で死刑囚たちは、いつ訪れるかわからない「執行の日」の恐怖と、孤独に闘い続けているのです。以下要約する4名の方々のお話はどれも、知られざる死刑の現実を私たちに突きつける、衝撃的な内容でした。
 
  聖母訪問会のシスター、原田従子さんは、これまで30年近くにわたり、44人もの死刑囚と関わってきた方です。そのうち11人は既に死刑執行され、6人は獄中で病死――刑死よりはまだ“嬉しい死”だという――しています。また、5人はその後の裁判で無期懲役になり、中にはすでに社会復帰している人もいるといいます。交流を通して洗礼を受けた人もいますし、たとえ洗礼までは受けなくとも、死刑囚たちの熱心な信仰から修道者として逆に学ばされることも多くありました。オウム真理教の元死刑囚からは、瞑想のやり方を教わったこともあります。

  現在の日本では、いつ死刑が執行されるかは、家族や支援者どころか本人にすら、当日の朝まで知らされません。これまで多くの死刑囚との「突然の別れ」を経験してきた原田さんの口からは、長年の過酷な拘禁生活で精神を病み、早く天国に行きたいと訴え続けた結果、あろうことか「聖金曜日」に処刑されてしまった女性信者の話、病気の高齢死刑囚に暖かなシーツの差し入れをして間もなく処刑された話、執行の知らせを聞いた直後、その死刑囚が2日前に書いた最後の手紙が届いた話など、死刑囚と身近に接し続けた彼女にしか語れない話が多く出ました。さらに、実際に処刑に携わる刑務官の苦悩へも心を寄せ、死刑執行のボタンを押す仕事だけは人間のする仕事ではないと訴えました。
 

  2007年に日本基督教団から日本聖公会の名古屋聖マルコ教会に移ってきたという牛嶋敦子さんにとって、現在交流している死刑囚は自分より前から聖マルコ教会のメンバーであり、信仰の上でも「先輩」だといいます。悲惨な家庭環境で育ち、少年の時に事件を起こしてしまった彼は今、特別に許可された作業から得られるお金を、被害者だけでなく、虐待や貧困の中にある子どもたちを支援する諸団体にも送り続けています。

  確かにかつて重大な事件を起こしてしまったわけですが、今会う40代の彼は素晴らしい信仰者で、毎日、祈りと他者のための働きをしながら生きている姿に、むしろ自分の方が学ばされることが多いと牛嶋さんは語ります。神ではない私たちが見ているのはその人の一側面にすぎません。人は変わりうるということを信じて目の前の人と真摯に向き合っていかなければならないと、牛嶋さんは繰り返し呼びかけました。
 

  名古屋聖ステパノ教会の池住圭さんによれば、日本聖公会中部教区の司祭たちは長年にわたり、名古屋拘置所で「教誨師」として奉仕してきたといいます。教誨を通して司祭の人間性に触れ、聖書の勉強をする中で、そのうち洗礼・堅信を受けたいと願う死刑囚たちが出てきました。個人としてではなく「教会」として、そうした死刑囚を支え、死刑制度について勉強し、教誨師を支えていくことが教会内で確認され、信徒たちも積極的に死刑囚と関わるようになっていきました。

  残念ながらこれまで5人の教会員が処刑で命を失いましたが、はじめて死刑囚の死と向き合い憔悴しきった司祭の顔を、池住さんは今でも忘れることができません。その日は共に朝まで祈りました。また、死刑囚とだけではなく、家族や被害者遺族、刑務官たちと接する機会も多くあり、死刑に対するそれぞれの思いを聞くことができました。遺族の中には、犯人の死刑を望まない方もおられたということも事実です。

  「処刑は自分で最後にしてください」と記して処刑された死刑囚の遺書を紹介した池住さんは、それを最後にできなかったどころか、死刑制度を容認し、国家による殺人に加担し続けている日本人の無自覚さを嘆きました。また、犯罪が起きる根本原因は命を軽視するこの社会の在り方にあるのではないかと問いかけ、キリスト者としてそうした社会を変えていくことが必要だと力説しました。
 

  日本長老教会志賀キリスト教会の浅野眞知子さんは、約25年前、ある死刑囚が『百万人の福音』というキリスト教雑誌に書いていた「救いの証し」を読みました。その死刑囚に対してというよりも、死刑囚に接する神の愛に感動し、はじめて死刑囚に手紙を書きました。その方は既に執行されてしまいましたが、彼を通して別の死刑囚との交流が始まりました。

  今交流している人とは、ちょうど20年前にはじめて面会に行きました。今でこそ「かあさん」と呼んでくれるまでの関係性になりましたが、その間、かなり長い間の葛藤があり、もう会いに行くものかと思ったことも何度もあります。けれども、そのたびに導きがあり、再び会いに行くようになりました。苦しく辛いことも多かったですが、彼との交流を通して、人は変われるのだということを学び、何よりもイエスととても親しくなるという恵みを受けることができたといいます。

  元々社会問題にはまったく関心がなかったという浅野さんですが、死刑囚との交流を通して様々な問題が見えてくるようになりました。「自分には罪はない」と思っている多くの人は、悪いことをしたのだから死刑で当然だと考えます。死刑制度に関しても、自分たちとは関係のない遠い話と考えてしまいます。私たちは皆、主の前にあって罪びとなのだという自覚が足りないと主張する浅野さんは、死刑によっては癒されない遺族の姿、執行の精神的負担に苦しむ刑務官の姿も分かち合ってくれました。
 

  最後に、麦の会(被拘禁者更生支援ネットワーク)や、無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会からのアピールもなされました。とりわけ、刑務所に4回、計30年間入っていた元受刑者の男性から語られた、獄中で誰からも見捨てられ、すべてを失ったと思った中で麦の会から届いた一通の手紙がどれだけ嬉しかったかという体験談は、会場の人々の心を打ちました。獄中でキリストと出会った彼は、出所した今では、教会や麦の会の活動に熱心に取り組んでいるといいます。

  もちろん、それに伴う覚悟と苦悩は決して並大抵ではありません。けれども、テーマの通り、受刑者・死刑囚という「最も小さな者」のもとを訪れること(マタイ25:36参照)が、キリスト者としていかに重要な愛の実践であるかを実感できる貴重な会となりました。
 

  実際、このシンポジウムに触発された私は、1か月後の12月25日、大阪拘置所の、ある死刑囚のもとを訪れました。実は私にとって、死刑囚と直接面会するというのははじめての経験でしたが、クリスマスの日に彼と、そして「牢の中にいるキリスト」と出会えたことは、とても意義深いクリスマスプレゼントとなりました。

  ただ、そうした素晴らしい出会いも、極めて残酷な形で水を差されました。私が訪れたわずか2日後、大阪拘置所で2名の死刑囚が処刑されたのです。日本の死刑の理不尽さを改めて痛感しながら、複雑な思いで降誕節を過ごすことになってしまいました。
 

『社会司牧通信』第205号(2019.2.15)掲載

Comments are closed.