マイノリティユースフォーラム in 北海道を通して 〜和解とは〜

岡田 惟央
カリタス家庭支援センター相談員

  「マイノリティ」と聞いて何を思い浮かべるだろうか? 私は普段、ソーシャルワークの仕事を通して障がいや病気を持つ人たちと関わる中で、社会の中で孤独を抱え、社会の流れや波にうまく乗れずに苦しみ、孤立している人たちを目の当たりにする。私自身もまた自分のこれまでの歩みや日々の生活の中で、自分が少数派で孤立しているのではないかと感じることがある。でも、社会の中で何を指してマイノリティ(少数派)で、何がマジョリティ(多数派)なのか。そしてマイノリティへの差別や排除はどこで生まれるのか。自分の中ではっきりしないものを抱きながら、少しでもその意味を考えたいと思い、私は、9月4日から7日までマイノリティ宣教センター主催の「第2回マイノリティユースフォーラム in 北海道」に参加した。

  今回のフォーラムのテーマは、「和解の時を求めて」。講演や現地訪問を通して、アイヌ民族の歴史を学び、現代社会に存在するマイノリティに対する差別や排除を見つめ、参加者と共に考え和解を探る。参加者は、遠くは長崎から、海外はカナダや台湾、韓国から30名が集まり、この機会を通して、参加者それぞれのマイノリティ性や背景、教派を超えたエキュメニカルなつながりをつくることも目的としている。
 

アイヌ民族への差別、二風谷(にぶたに)を訪れて
  初日の講演では、日本がアイヌ民族の住む北海道だけでなく、沖縄、朝鮮を侵略、植民地支配した歴史、貧困にあえぐアイヌ民族の保護を名目にできた旧土人保護法(実際は人々を農民に仕向けるためもの)がたった20年程前まで存在していたこと、2008年にアイヌ民族を先住民族であると政府は認めたものの、未だ遺骨返還など権利回復には程遠い状況にあることを知った。

  翌日は、アイヌ民族の血を引く人が人口の7割と道内で一番多い二風谷を訪問。アイヌ民族の反対を押し切って二風谷ダムが建設され、それによって遺跡が複数なくなり、アイヌの主食である鮭の伝統行事やアイデンティティが奪われた。そして現在もあるアイヌ民族への差別によって、大和民族とアイヌ民族の結婚が反対されたり、アイヌであることを隠して都市部で暮らす若者も多いそうだ。また日本の学校教育では、アイヌのことがほとんど教えられていないことも知った。振り返れば、私自身もアイヌ民族について学校教育の中で勉強した記憶がほとんどない。アイヌ民族の歩みを聞いて、想像を超える苦難がそこにはあると思った。そして、萱野志朗さん(萱野茂二風谷アイヌ資料館館長)の「アイヌは先住民族、そしてマイノリティである」という言葉を耳にした時、そこに込められている意味を考えながら、現在も続く差別、アイヌ民族を取り巻く日本社会や私たち人間のこころに潜む闇を感じた。
 

和解への取り組み
  カナダの参加者による発表では、1986年にカナダ合同教会(プロテスタント)が先住民族に行ってきた迫害に対して謝罪した文書が紹介された。その内容は、キリスト教の福音を伝えるばかりで、先住民族の文化、価値観などに耳を傾けなかったことへの謝罪だった。

  「カイロス・ブランケット・エクササイズ」と呼ばれる、和解に向けた取り組みも紹介された。これは、先住民族を迫害してきた反省から生まれたもので、床にブランケットを敷いてカナダの先住民の歴史や入植者がどのように侵入してきたのかを知り、学ぶことでそこから和解を探り、重荷からの解放を目指している。私は、和解への実践的な取り組みをしていること、また、過去の事実に向き合う姿勢にとても考えさせられた。そしてこれを参考に、社会に存在するあらゆる差別等の問題にあてはめ、エクササイズを行ってみるのも互いを理解し合う方法の一つかもしれない。  発表の中で印象に残った言葉をここで紹介したいと思う。「和解とは、尊敬的な関係を築き、維持することである。近道などはない。」(マレー・シンクレア、カナダ真実と和解委員会委員長)
 

ひとりの人間として
  この4日間の朝・夕の祈りの時間の中で、一人ひとりのルーツや経験、価値観、社会にある問題、様々な葛藤など、聞いた話はすべて考えさせられることばかりだった。社会の中で生活している私たちは、国や社会といった大きな枠組みから身近な職場や学校をはじめ様々な集団、組織に属している。集団に属すことは、生きていく上で必要な部分だと思うが、その中で自らを見失ったり、カテゴリーによって互いの違いを受け入れることができず、分断がうまれることがある。でも、互いにひとりの人間であり、私たちは自らの人生の主人公であるという当たり前の前提に立ち返ることも大切だとこのフォーラムの中で気づかされた。
 

あらためて思うマイノリティ、和解について
  このフォーラム期間中、突如襲った北海道胆振(いぶり)東部地震。私たちも食料不足に陥り、海外からの参加者の中には地震そのものを経験したことがない人もいた。夜が明け、今後の食料の調達や情報収集のためプログラムは一旦中断。その間、互いに不安を口にしながらも、不思議と交流や互いの分かち合いが増えた気がした。そんな中、宣教師の方が私に「こういったことが起きることは、ある意味では離れていた仲間と仲直りするチャンスでもある」と。私はその言葉を聞いて、今回のフォーラムのテーマ「和解の時を求めて」を思い出した。

  共に「地震」という共通の体験をしたこともまた、私にとって大きな意味をもたらした。そして再びマイノリティ、差別や排除を考えた時、気がついていないだけで、誰もがマイノリティ性を持っているのかもしれない。そこに気づき向き合い、自分と他者との「違い」をどこまで「違い」として受け止め、共に歩むことができるのかが、私たちに問われている。そしてその先に、和解の一歩があるのだろう。

  今回出会った韓国の友人からは、このフォーラム、地震を通して共に関わった中で、日本に対する見方が以前より良い方に変わったという言葉をもらった。和解は、身近な出会いの中で、地道に築いていくこともまた大切だ。最後に、この場が与えられ、互いの背景、教派を超え、共に集えたことを心から感謝したい。そしてこのつながりを今後の歩みにつなげていきたいと思う。

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