西日本豪雨災害とキリスト教会呉ボランティアセンターの働き

小林 克哉
日本基督教団呉平安教会牧師

  2018年7月6日(金)から7日(土)にかけての大雨により、わたしたちの教会が建つ広島・呉の町は大きな被害を受けました。教会員の中には水没していく車からどうにか脱出して命が助かった者があり(『信徒の友』に証し掲載)、家族の家が洪水被害を受けた者、家の敷地に土砂が流れ込んで来た者などもおりました。教会員の命は守られ、自宅が土砂で流されるような被害まではありませんでしたが、教会員の知人には犠牲となられた方、家屋が全壊した方がありました。呉の町は当初、土砂災害により主要な道路が寸断され、陸の孤島状態になったために物流が途絶え、加えて断水となり、スーパーやコンビニの棚の水や食料品が空になり、不安な日々を過ごさねばなりませんでした。
  豪雨直後の8日(日)の礼拝は、物理的に教会まで来ることができない者がほとんどで、わたしが呉に着任してから最も少ない人数での礼拝となりました。教会が建つ地域は断水を免れたので、最初の一週間は給水や洗濯、シャワーのために来られる教会員への対応がわたしたち夫婦の主な過ごし方となりました。
 

  そんな日々を過ごしている中、呉牧師会会長のインマヌエル呉キリスト教会内山忠信牧師より、呉平安教会をボランティアの宿泊場所として使用できないかと打診がありました。広島宣教協力会(福音派の諸教会の交わり)のもとにある広島災害対策室が、呉牧師会と協力してキリスト教会広島災害対策室呉ボランティアセンターを立ち上げることになったからでした。日本国際飢餓対策機構サマリタンズ・パースが協力してくださることになりました。呉の諸教会は毎年市民クリスマスをいっしょに行うなど、日頃からの交わりがありました。ですから、当たり前のこととしてわたしたちの教会は宿泊受け入れを決めました。インマヌエル呉キリスト教会をセンターとして、日本基督教団呉平安教会、日本福音宣教団呉リバイバルセンター教会ナザレン呉教会アライアンス呉教会を宿泊場所として、7月17日(火)から8月10日(金)までボランティア活動が行われることになったのです。被災した教会員、教会員家族、教会員知人、教会の建つ地域の順でニードに応えていこうとするものでした。

  通行止めが少しずつ解除され、16日(月)から礼拝に来ることができていない教会員や求道者を牧師として訪ねました。安浦地区に行き、洪水被害を受けた祖母宅で片付けを手伝っている姉妹を訪ねた時です。わたしも片付けを手伝い、一緒に小さな礼拝をささげました。この姉妹を牧師として助けたいという思いが強くなりました。牧会のスイッチが入ったと言ってもいいかもしれませんが、姉妹とその家族を助けるためにはキリスト教会呉ボランティアセンターの助けが必要です。ニードを伝えました。結果、わたしはボランティア宿泊受け入れだけでなく、現地に赴いての活動に加わることになり、気がつけば最初から最後までスタッフの一人としてご奉仕することになりました。
 

  当初より、被災地の教会や牧師が倒れてはいけないと、ボランティア期間を4週間に限って活動を始めました。8月10日(金)で宿泊受け入れを伴うボランティアは終了しましたが、呉牧師会で話し合い、それまで関係をもって来た案件についてはできうる限り最後まで関わり続けることを決めました。8月半ばからは火曜日と金曜日にボランティアを募って活動を継続しましたが、9月28日(金)でその働きも終了致しました。

  キリスト教会呉ボランティアセンターはこの期間、救世軍の関わりがある天応地区での重機隊も投入してのボランティア活動(救世軍、サマリタンズ・パース、日本基督教団からの支援を受け、社会福祉協議会と連携を取りながら、社協・行政が入らない場所などにも入り)、また各教会員やその関係者宅とそのつながりから安浦地区、川尻地区、広両谷地区、音戸地区での泥だし、洗浄、消毒作業、そして被災した日本福音宣教団安芸津キリスト教会の再建プロジェクトを遂行しました。その働きを終え、今までの働きを主の御手にゆだねたいと思います。播いた種を成長させ実りとすることができるのは主なる神だけだからです。
 

  全国各地からキリスト者や求道者が来てくださいました。世界各地で伝道活動をしているチームの方、ハワイの教会、テキサス州、韓国からなど海外からも来てくださいました。その働きは、神さまがこの町を、この町に暮らす人々を愛しておられることのしるしでした。この町に、この町に住む人々に光が注がれていることの証しでした。呉の諸教会にとっても神がわたしたちを覚えていてくださることを示すものでした。教派を超えて、キリストの名によって結ばれる者たちが共に奉仕できたことは、神の恵みの出来事でした。改めてボランティアに来てくださった方々に心からの感謝をお伝えしたいです。そしてそのご労苦に主のねぎらいがありますようにと心よりお祈り申し上げます。

  そのスタートから福音派の諸教会を中心とした働きではありましたが、日本基督教団であるわたしも呉山手教会の三矢亮牧師も加わりました。日本基督教団関係のボランティアや献金・献品、在日大韓基督教会からの献品があり、またカトリックの方もボランティアに来てくださいました。そのためこれまでにない超教派の災害支援の働きになりました。朝の送り出しの際にはこどもさんびかの「どんなときでも」を歌い、祈りをささげてそれぞれのボランティア先に出ていきました。夜のミーティングでも「どんなときでも」を歌い、5分間メッセージ、祈りがありました。また呉平安教会に宿泊された方々といっしょに祈ること度々でした。それぞれの働きに敬意と感謝を表し合いましたが、皆自分たちを用いて働かれ御業をなさる神をこそほめたたえて感謝する毎日でした。賛美と祈りに満ちたボランティア活動であったと思います。
 

  呉市民クリスマスの寄付先である安浦地区にある小規模作業所を訪ねました。洪水被害で土砂が流れ込んでいました。見た目は大丈夫に思えた床板の下にも土砂があるだろうことを伝えざるを得ません。責任者の方がとても落ち込んだ顔をされました。こみ上げてくる思いの中で、「何の助けもできませんが、わたしは牧師です。神さまの御守りがあるように祈らせてもらってもいいですか。」と。「お願いします。」心を込めて祈りました。利用者の方々のため、施設の再建のため、労する責任者のため、光と希望が神から与えられるように、と。祈り終えお顔を見ると、目に涙を浮かべ、「ありがとうございました」と言われました。ここにも神の光は注がれている、神によって希望があるとほんの少しでも思ってもらえたならどんなに嬉しいことかと思いました。この期間、たくさんの方と祈らせてもらい、牧師にしかできないことは何かを考えさせられました。

  9月22日(土)、ボランティア作業に入っていた当教会員家族のお宅で祝福式を行いました。10月から大工さんが入ることになり、工事の安全と新しく始まる生活に神の祝福があるようにと祈りを合わせました。詩編第46篇とコリントの信徒への手紙一第10章13節を読み、「いつくしみ深い」と「どんなときでも」を賛美しました。家主の方が、災害後最初にお会いした時の顔からは想像できないようなすてきな笑顔をしており、ここにも神の愛が注がれていることを思わされました。このような災害は無かったほうがよかったのですが、この出来事をも神の恵みの中で受け止めることができるようになるのだと感謝しました。

どんなときでも

(1) どんなときでも どんなときでも
苦しみに負けず くじけてはならない
イエスさまの イエスさまの愛を信じて

(2) どんなときでも どんなときでも
幸せをのぞみ くじけてはならない
イエスさまの イエスさまの愛があるから

 
  豪雨災害発生から3ヶ月になろうとしています。この間、JRの運行停止区間の関係で、家から会社に通うことができない青年が牧師館で生活しながら通勤していましたが、それも終わります。妻が毎晩夕食を用意し、御言葉を読み祈りをささげ食事をする。これもまた主が与えられた特別な経験となりました。長くあっという間の期間でした。多くの方に祈られているのを感じて過ごしました。いろいろな方から災害支援の働き大変ですね等と声をいただきましたが、正直、牧師として、牧師夫婦として、ただ牧会・伝道の務めをし続けているうちにこの3ヶ月が過ぎたと感じています。呉のほとんどの場所が落ち着きをとりもどしていますが、被害が大きかった地区は大変な状況がまだまだ続いています。引き続き覚えてお祈りお支えいただければ幸いです。

  キリスト教会広島災害対策室呉ボランティアセンターは、今後安芸津キリスト教会会堂再建の責任を果たし、心のケアの働きとして仮設住宅への訪問活動やコンサートなど視野に入れ活動していく予定です。皆さまが示してくださった主にある愛と交わりに改めて心からの感謝を申し上げます。皆さまの上に主の恵みと平安が豊かにありますようお祈り申し上げます。     主にありて

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