青年シノドスのジレンマ ~プレシノドスミーティングに参加して~

松島 遥
真生会館カトリック学生センター(wakage) 代表

  2018年10月に行われる「若者、信仰そして召命の識別」をテーマとするシノドス(全世界司教会議)へ向けた準備としての役割を持つ、シノドス前青年会合に参加しました。

  2018年3月19日(月)から25日(日)にローマで開催され、司教協議会からの推薦を受けて派遣されました。教皇様が招集されたもので、全世界から300人の若者がローマに集まり、シノドスで参考にされる文書作成へ向けて会議を行いました。

  カトリックの青年以外にも仏教徒、イスラム教徒、シク教徒、無宗教を自認する人、カトリックではないキリスト教徒の青年が参加していました。

  現地に集まった青年は英語・スペイン語・イタリア語・フランス語の言語ごとに計20グループの小グループに分けられ、グループディスカッションを行いました。また、これらとは別にFacebook上で英語・スペイン語・イタリア語・フランス語・ポルトガル語・ドイツ語の6グループが作成され、15000人の青年が参加しました。

  現地参加者とFacebook上の合計26のグループごとに、後述のテーマに関して分かち合い・ディスカッションや文書の検討が行われました。文書はver.1、ver.2、最終版の3つのバージョンが作られ、再検討を繰り返しながら最終版作成に至りました。

 
  ディスカッション内容は三部に分かれていました。第一部では、今日の若者の課題と機会が主題としておかれ、具体的には、人格の形成、他者との関わり、若者と未来、テクノロジーとの関わり、人生の意味の探求などのテーマに関して話し合いました。

  第二部では、信仰と召命、識別と同伴が主題としておかれ、具体的には、若者とイエス、信仰と教会、人生の召命の感覚、召命の識別、若者と同伴などのテーマに関して話し合いました。

  第三部では、教会の形成的かつ司牧的実践が主題としておかれ、具体的には、教会の方法、若いリーダー、好まれる場所、取り組みの強化、使用する手段に関して話し合いました。

  どの話し合いも各国の状況の違いや取り組みの違い、個々の背景の違いが表れるもので非常に貴重な意見を聞くことが出来ました。

 
プレシノドスミーティング最終文書の持つジレンマ
  本会議の最終文書の持つジレンマを、2点に絞ってお伝えしたいと思います。①普遍的な内容で個別的な事情が反映されていない、②教会から離れていき、教会や宗教・信仰に興味の無い若者はこの文書の作成に関わらないという点です。

  ①に関して、本会議の最終文書は300名近くのあらゆる国・地域の若者が1つのものを作ったということに改めて目を向ける必要があります。この文書は現在の若者が直面している現実に対し、概観を捉える上では非常に有効なものですが、個々の個別的な困難は国、教区、共同体、個人ごとに異なります。この文書の記述から若者の現実に対し、押し付けられる誤った解釈がなされないことを願います。

  ②に関しては、シノドスそのものの持つジレンマであると思います。これから離れる若者が少なくなるよう司牧的な取り組みへの方向性を定めることはできますが、教会を既に離れてしまった若者にどうしたら来られるようになるのか、なぜ来ないのか聞き、調査をすることは難しいように思います。

  当会議ではシノドスに積極的に関わりたいと思う若者が非常に多い印象を受けました。本シノドスは司教だけではなく、全ての若者に向けられたものです。それは、もちろん教会から離れてしまった若者をも含んでいます。

  教会から離れてしまった若者の声を反映させるためにはどのような方法をとることができるのか、これからも考えていかなくてはいけません。今、教会が直面する青年に関わる問題について深める良い機会となりました。私たちの教会は目に見える範囲では小教区や教区のレベルかもしれませんが、世界中の教会と共通した部分を持っています。

  今回、シノドスのテーマとして若者のことが取り上げられることは、非常に大きな恵みであると感じています。

 
アイデンティティーと社会の関わり
  本ミーティングでは世界中の若者の教会に対する熱意を感じ、私自身も励まされる経験となりました。私からは日本の場に生きている中で感じる宗教に対する不寛容な雰囲気や、私たちの教会活動が直面している現実について分かち合う機会をいただきました。

  私は、中学1年の時に洗礼を受け、家族で唯一のクリスチャンです。家族の反対はありませんでしたが、公立の学校で教育を受ける中で、カトリック信徒であるというアイデンティティーを友人に打ち明けることはできませんでした。ごくわずかな親しい友人には打ち明けていましたが、なるべく他の人に伝わらないように隠していた部分があったように思います。それはその時の私にとってはごく自然なことのように思えました。高校生の時、上智大学の神学部受験のために聖書の勉強を学校で行っていたところ、聖書を読んでいるということを同学年の部活の友人からバカにされ、からかわれたこともあります。

  そのような風潮の中で宗教を隠すということがごく自然なものであったことや、私の教会活動の仲間の中には大学でもカトリックであることや教会に通っていることを打ち明けられない仲間もいます。それとは異なり、西アジアを中心とする地域の若者は、彼らの信仰を彼らのアイデンティティーであると考えていました。自己のアイデンティティーとキリスト教の信仰を持っているということの間には、そのような社会的な目という溝があるように考えました。

 
シノドス前青年会合の報告
  イエズス会社会司牧センターのご協力により、シノドス本会議に参加される勝谷司教様とお会いしました。シノドス前青年会合での文書作成の手順やその過程での苦労などについて聞いてくださいました。

 
翻訳に向けた取り組み
  当会議の最終文書は世界中の若者が集まり、今思っていることや直面している現実をまとめたものです。そのため、青年司牧の現場並びにシノドスに関することが取り上げられる場で重要な資料だと考えられます。この文書の重要性から翻訳をしようと考え、現状では下訳が完成した段階にあります。これから他文書との訳語の調整や、日本語としての読みやすさを確認した上発表する予定です。司教様への報告の際にも当文書の翻訳に関しご相談させていただき、前向きにこの作業が進むことになりました。シノドスの行われる10月までには日本語でお読みいただける形になるかと思いますので、日本語訳完成のためお祈りによるお力添えをお願いします。

  このような形で報告をさせていただける機会を作っていただき、ありがとうございます。カトリック教会全体で取り組んでいく問題であると改めて感じました。

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