スタンリー・ハワーワスの著作紹介

梶山 義夫 SJ
イエズス会社会司牧センター所長

     「高まるナショナリズムとキリスト者の責任」と題して、2018年5月29日に同志社大学礼拝堂において、スタンリー・ハワーワス(1940年、テキサス生まれの合同メソジスト教会信徒。デューク大学でキリスト教倫理学を長年教えた)の講演が行われた。深い感銘を与えた内容だったので、彼のいくつかの著作や共著の、私にとって貴重な示唆となった内容を紹介する。

 
 
 

S.ハワーワス、W.H.ウィリモン (東方敬信、伊藤悟訳)『旅する神の民 ―― 「キリスト教国アメリカ」への挑戦』 教文館、1999年
  第二バチカン公会議の『教会憲章』を思い起こさせる。教会の在り方と司牧の在り方について、数多くの示唆を与えてくれる一冊である。
キリスト者を旅する神の民(resident aliens)、教会をイエスに徹底して追従した弟子たちの共同体として、コロニーと呼ぶ。キリスト教史を振り返ると、コンスタンティヌス帝のミラノ勅令以降、教会は国家の有益な支持者となることを社会的使命とし、さらに19世紀に国民国家が成立すると、国家に忠誠を誓う団体となり、宗教はプライベートな領域に押し込められた。1960年代になると、欧米は徹底した消費社会となり、「キリスト教世界」が喪失する。その今こそ、福音宣教の絶好のチャンスである。このチャンスを生かすには、「何をしたらよいか」ではなく、「これが本当の世界の在り方かどうか」という問いを発しながら聖書を読み直し、また聖人たちの生き方を見つめて、神を新たに知ることが大切である。

 
S.ハワーワス、C.ピンチス (東方敬信訳) 『美徳の中のキリスト者 ―― 美徳の倫理学との神学的対話』 教文館、1997年
  本書は、幸福をめぐるキリスト者の根本的な生き方について問いかけるものである。
  第一部では、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』、さらに美徳に関して最良の説明として、トマス・アクィナスの教説を取り上げる。この著書に限らず、著者のトマスに対する信頼は極めて高い。第二部では、現代のアリストテレス研究家数名と対話する。第三部は希望と従順と勇気と忍耐というキリスト教的美徳、つまり神の慈しみに土台を持ち、イエスの生涯を規範とし、聖霊によって形成される生き方を描き出す。勇気に関しては、アリストテレスをはじめ多くの人にとっては、戦場における兵士が規範であるが、トマスは、自らの生命と迫害者の生命をも含んだすべての生命の源であるキリストのために死ぬ殉教による死などを、勇気ある死として加え、戦死、そして戦争自体を相対化する。

 
S.M.ハワーワス、W.H.ウィリモン (東方敬信、伊藤悟訳)『神の真理 ―― キリスト教的生における十戒』 新教出版社、2001年
  どう生きるか問われている中で、十戒をイエスの福音に基づいてとらえ直し、教会共同体に問題提起する著作である。
  十戒はまず、神についての福音であり、親が子どもに語るように、神は十の言葉を語りかける。それは、一般倫理というよりも、教会共同体に協力を求めるメッセージである。この神は、熱情的に愛し通す方、貧しい人々や困難な状況に置かれた人々に対してこの上ない関心を持つ神である。神を飼い慣らして、都合の良い神を礼拝することを戒めるのが、神に関する二つの掟である。
  安息日は、時間に振り回される私たちに、神が時間の主であることを思い起こさせる。
  生命は、神のもの、賜物である。父母、そしてへそは、そのしるしである。いかなる理由にせよ、生命を奪うならば、自分を神の位置に置くことになる。また資本主義は性の消費と広告に関連があることを発見し、性を商品化し、性の表現は、おおっぴらになった。この状況で、私たちは、教会が子どもたちに証ししたいから、また両親が宣教の役割を引き受けるゆえに、彼らを育てる。
  近代人にとって最も難しい戒めは、盗みと詐欺に関することである。金持ちがいて、貧しい人がいるという現実は、盗みと偽りを土台としたシステム、さらにそれを覆い隠すシステムが働いている。また私たちの欲望が限りのないものであるゆえ、命の源である神にしか安らぎを得ない。欲望が神から離れる時、すべての行動や非行動を混乱させる。家族の中にも欲望が渦巻き、家庭内暴力や虐待を引き起こしている。

 
W.H.ウィリモン、S.ハワーワス (平野克己訳) 『主の祈り ―― 今を生きるあなたに』 日本キリスト教団出版局、2003年
  本書は平易な文章に翻訳されていて、黙想の糧として読むことができる。
  快楽主義がいきわたり、国旗を偶像崇拝し、自分自身を礼拝しながら好みの神々を取り集めているこの時代の文化に直面しつつ、天におられる聖なる神に神の子として自分の人生を捧げるように招かれている。
  神の国は、この世界が引く国境線に対して反対するよう、私たちを促す。性別や階級、人種や経済状況、国境を設定し、必死にその線を防衛しようとしている現代国家こそ、偏狭で狭量な存在の最たるものである。神の国は、この世界の偽りの分離線をことごとく消し去る。
  私たちは「日用」の糧を願う。それは、荒れ野で民が必要な分だけマナを集めることが許されたことを思い起こさせる。私たちは、自分をむしばむ虚無感を絶え間なく消費し続けることでごまかそうと、あまりに多くのパンを集めることによって滅んでいく。この祈りは、「『いらない』と言えるようにしてください」という祈りを含んでいる。
  赦しは、I am OK you are OK(なあなあでやって行こう)という表面的なことではない。見せかけの装いを脱ぎ捨て、空の手で、赦す力を持つ方の前に進み出ることが求められる。それには、痛みが伴う。しかしそこには、私たちの人生は私たちのものではないという真理があり、その真理によって私たちは解き放たれ、十字架のキリストによって赦しと愛をいただく。
  悪のもろもろの勢力の代表例は、経済、民族・人種、ジェンダー、国防上の必要、メディアである。この力は世界の隅々にまではびこる。しかもこの勢力は、自由の衣を身にまとい、それがなければ生きていくことができないものであるかのように装い、私たちを訪れる。「神の武具を身に着けなさい」(エフェソ書6:10~20)は、この箇所の理解を深める。

 
スタンリー・ハワーワス、ジャン・バニエ (五十嵐成見、平野克己、柳田洋夫訳) 『暴力の世界で柔和に生きる』日本キリスト教団出版局、2018年
  バニエとハワーワスが、2006年、スコットランドのアバディーン大学「スピリチュアリティ・健康・障がいセンター」が主催した会合で行った講話を基にした書籍である。巻末にスタディ・ガイド質問集も設けられ、「バニエは、変革とは、『私たちを他者から隔てる壁、そして、いちばん深いところにいる自分自身から隔てる壁・・・』が消滅することだと言っています。あなたの人生における壁とは何ですか」、「バニエが語る、貧しい人たち、障がいがある人たちにある『聖さ』とは、どういう意味でしょうか」などの問いをグループでの分かち合いに使用し、本書の内容を深めることができる。
  《本書の構成》 第1章:バニエ「ラルシュのか弱さ、そして、神の友情」、第2章:ハワーワス「奇妙な場所に神を見出す――なぜラルシュに教会が必要なのか」、第3章:バニエ「イエスのヴィジョン――傷ついた世界において平和に生きる」、第4章:ハワーワス「柔和さの政治学」。

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