社会の窓から⑨ 今日の教会の使命

アルン デソーザ SJ

  大変しばしば、私たちは答えよりも問いの方を多く持つ。ときには、私たちは答え、または解決策を見つけるが、ときには見つからない。最近、私がはまり込んでいる問いとはこのことだ。つまり正義と誠実の名において、世界の全てのお金はどこへ行ってしまったのか!ということである。だれもが経済の危機について話している。それは、大きいものでも小さいものでも、ビジネスは損失を負いながら経営されていること、幾つかの国がすでに破産の危機に瀕していること、労働者階級の人々自身が頼りにするものが何もないと気づいていること、多国籍企業が全従業員の一時解雇を実施していること、などである。これらの悩みのリストは途切れることなく流れ出ている。そして現在の世界の混乱の最終的な結果は、次世代の人々に過酷な影響を及ぼすことになるだろう。

  私が現在の経済のシナリオを分析するという甲斐のない試みをしたとき、私は何の答えも解決策も見つけることはなかった。むしろその研究は私をよりいっそう深い問いへと導いたのである、つまりこの経済危機は私たちの信仰生活にどのような影響を及ぼすのだろうか?私はこの問いに対する答えを見つけられるとは思わない。

  別のことに注目してみよう。カトリック教会は第二バチカン公会議の開始の50周年を記念している。教会が世界への窓を開き、私たちの霊的リーダーたちがその起源を傷つけることなく、典礼の中へ新しい風を吹き込むという果敢な歩みをなしたこの歴史的時期を、私たちは祝っている。私たちは開かれた教会となった。疑いもなく言えることは、カトリック教会も、社会も、過去50年間にものすごい変化を経験したということである。多くのことは、よりよき方向へ向かった、少しのことはそうではなかった。私たちはこの記念(ジュビリー)をはじめるにあたって、何が善く、何が建設的かということをしっかりとつかんでおかねばなるまい。

  私の経験は限られているが、とても慰めになったことが一つある。それはカトリック教会と社会との関係が育ってきたということである。両者は緊密な結びつきを持ち、互いに補い合おうとしている。両者はもはや二つの切り離された存在ではない。
  社会で、そして世界で起きるすべてのことは、カトリック教会とその信徒たちの信仰の旅路に直接的な影響を与え、あるいは効力を持つのである。現在の経済危機も例外ではない。人は簡単には次の事実を無視できなくなっている、つまり世界におけるこの大変な状況は私たちの信仰に影響を与えている、という事である。それは私たちの考え方や行動の仕方、私たちの信仰の実践に変化を生じさせているし、また私たちの家族の生活、優先順位や選択、そして最終的には私たちの精神の生活に変化を生じさせているということである。

  1891年、教皇レオ13世は回勅『レールム・ノヴァールム』(“Rerum Novarum”、ラテン語で「新しい事柄について」という意味)を出版した。それは公文書であって、すべての司教たちへと送られた。労働者階級の人々の状況を扱ったものであり、そこでは労働者と資本家の間の関係性と相互の義務、そして政府と市民との関係について論じられている。現在、『レールム・ノヴァールム』から120年後、この危機的状況に直面している教会は、同じ立場に立って、現社会体制が答えることができずにいる多くの問いに答えていくべきだと思う。「行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです」(ヤコブ 2:17)。私たちが第二バチカン公会議の50周年の記念を祝うにあたって、現今は反省する時期であり、より住みやすい世界を作るために希望を与えるときである。現在の経済的混乱の理由について思いめぐらし、そしてこの危機に打ち勝つ方法を見つけ出すのによい機会なのだ。過去に、私たちの教会は世界に、信仰は傷ついているものを癒し、対話は和解をもたらすことができ、分かち合いは繁栄を促進し、そして謙遜は平和へ導くことができる、といったことを示してきた。教会には自らの使命がある。私たちの牧者たちには、このような危機の中にあって、信徒たちを導いていく大きな責任がある。私のように、それらの問いの答えを見つけようと奮闘しているすべての人が、この記念祭の終わりごろには激励されることを私は願い、そして祈る。神への信頼と社会へのコミットメントがいつまでも、私たちにとともにあることを祈りつつ。

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