和解の旅路を共に歩む ~東アジア和解のフォーラムに参加して~

岡谷 和作
キリスト者学生会(KGK) 主事

  第5回東アジア和解のフォーラムが2018年5月28日から6月2日にかけて開催されました。このフォーラムには東アジア中から教団・教派、カトリック・プロテスタントを超えた90名以上が集います。多種多様な背景を持った参加者が共に「和解」について学び、対話し、祈り合い、実践するという他にはないきわめてユニークな集いです。私が初めて参加したのは、青山学院大学の教授である藤原淳賀先生にお誘いいただいた済州島で行われた前回大会でした。

  普段私はキリスト者学生会(通称KGK)というプロテスタント福音派の超教派伝道師として働いています。各大学の聖書研究会を訪問し(上智大学にも部室があります)、大学生に聖書を教えています。ただ福音を伝えるだけではなく、福音を「生きる」こと、すなわちキリスト教世界観の中でこの世界を見る目を養うことを目標の一つに掲げています。その中で、近年東アジアで高まる緊張関係、またナショナリズムの問題をどのようにキリスト教的な世界観で考えるべきか模索していたこともあり、また私の名前が「和作」(平和を作る)であることも相まってフォーラムに参加することを決めました。

  そして去年のフォーラムは数多くの出会いと本当に素晴らしい学びの時となりました。今回イエスズス会社会司牧センターと縁もゆかりもなかった私が本稿を執筆させていただいているのも、去年のフォーラムでのセンタースタッフの柳川さんとの出会いがきっかけでした。

 
  今年度のフォーラムは、講師にアメリカからスタンリー・ハワーワス教授をお招きしての日本開催となりました。ハワーワス教授はタイム誌においてアメリカNo.1神学者と呼ばれ、アメリカのプロテスタント教会において最も影響力を持っている神学者の一人です。そして今年度のフォーラムはハワーワス教授の講演会のテーマ「高まるナショナリズムとキリスト者の責任」に最適な、まさに権力を象徴する都である京都で行われました。

 
  和解のフォーラムは例年、主催者でありフォーラムの発起人でもあるクリス・ライス氏の著作“Reconciling All Things”(IVP、邦訳9月出版予定)に記されている「和解の旅路」に沿ってプログラムが進行していきます。危機(Crisis)、嘆き(Lament)、希望(Hope)、長期戦のための霊性(Spirituality for the long haul)と4つのテーマが日ごとに割り当てられ、参加者は和解の旅路を共に歩むという構成になっています。

 
1日目 : 危機 (Crisis)
  まずフォーラムの初日は私たちを取り囲む「危機」についてディスカッションをするところから始まりました。和解についての旅路を歩むために最初に必要なのが、和解を必要としている現実を直視することでした。「平安がないのに平安という」(エゼキエル13:10)預言者たちのようではなく、まず罪の現実を確認するところから始まります。

  午後のハワーワス教授の講演会は「ナショナリズム」というテーマに沿い、アメリカのキリスト教社会の問題、中国のナショナリズムとキリスト教の問題、そしてアジアの教会への提言が語られました。キリスト教会の制度化は避けられない課題としつつも、自己の安住のための制度ではなく、キリスト教的美徳(特に平和への美徳)を備えた制度を築いていくべきだとアメリカのキリスト教社会を反面教師として語られました。

  アジアにおいても国ごとに教会と国家の距離感も、そもそも「国」という概念自体も異なります。しかしどこの国民であろうと、私たちキリスト者が第一義的には「神の国」の住人であり、地上においては「寄留者」であるという事実には変わりはありません。キリスト者としてどのように国家と向き合うのか、教会が今の時代において預言者としての使命を全うするということは何を意味するのか。様々な課題を提示してくださった講演となりました。

 
2日目 : 嘆き (Lament)
  このフォーラムの最も特徴的なプログラムが「嘆き」の時間です。参加者は京都各所の痛みの歴史が残る場所(キリシタンの迫害跡や差別を受けて来た在日地区)を訪問し、共に「嘆く」時を持ちます。デューク大学和解センター長のエガード教授は、「嘆きとはある特定の方向性を持った痛みに対するクリスチャンとしての応答である。その方向性とは神に向かう方向性である」と説明してくださいました。つまりそれはただの悲しみや絶望ではなく、主に委ねる祈りの行為であり、とりなしの行為です。さらにそれは個人ではなく共同体として行われます。様々な国・背景から来る個々人が持つ傷や痛みを抱えたまま、参加者全員が共に罪の現実に対して「嘆く」のです。

  最後にカトリック河原町教会で共に集まり、様々な「痛み」を覚えて共に祈りを捧げました。教団・教派を超えて、また国家をも超えて一つの声として祈りがささげられる瞬間でした。嘆きの先にある主にある平安、御国の希望を垣間見るひと時でした。

 
3日目 : 希望 (Hope)
  3日目からは同志社大学のびわこリトリートセンターに移動し、共に希望の印を探す旅が始まります。ワークショップに分かれ、具体的な問題に関して考える時間が持たれました。私が担当させていただいたワークショップ「次世代からの声」では、台湾、韓国、日本の青年がそれぞれ各国の教会の現状と将来への希望を発表しました。全く異なる3か国だったのにもかかわらず、ナショナリズム、自尊心の欠落、教会への失望など若者を取り囲む課題は驚くほど類似していました。そして同様に共通の希望も見出すことが出来ました。それは教会の課題に対して教団・教派の協力が進んでいるという点です。

  プロテスタント教会においては何百という教団が存在している中で、今までほとんど協力関係はありませんでした。しかし日本においては東日本大震災をきっかけに、教団・教派を超えた協力や対話が活発に行われるようになりました。同様に東アジアの各国においても危機の時代において、教会同士が歩み寄り始めているのです。異なる背景を持ちながら、共に共通の課題と希望を分かち合い祈り合うことが出来た大変貴重な時間でした。

 
4日目 : 長期戦のための霊性 (Spirituality for the long haul)
  4日目は締めくくりとして、和解の旅路は時間がかかること、そしてそのためには長期戦を耐えうる霊性が必要であることが確認されました。そして和解の働きを一過性のもので終わらせないために各国で集まり、国ごとに持ち帰る課題を議論しました。このフォーラムの非常に良い点と感じたのがこの継続性です。ただの「良い集会」として終わらせるのではなく、長期的な視野をもって取り組みを続けていく姿勢には、主催者の和解への強い思いが感じられます。

 
最後に
  最も今回痛感したことの一つは、和解はまず教会から始まるということでした。和解の使者として(2コリント5:17)遣わされている私たちキリスト者同士がまず和解を必要としているということです。それは決して何でも教団・教派を超えて一緒に活動をすればよいという意味ではなく、むしろ一つのキリストの体における異なる器官として、教団・教派を超えて互いに祈り合いそれぞれの役目を全うしていくということです。オーケストラで例えるのであればオーケストラ全体の調和を意識しながら、主に与えられた各々のパートを演奏する。そのような視点が必要なのではないかと思わされています。主の和解の働きがますます日本で広がっていくことを期待し祈りつつ。

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