東アジアの平和と和解のためのプロジェクト第一弾に参加して

    長安 まみ
幟町教会(広島教区)信徒

  2018年2月23日から26日までの4日間、「東アジアの平和と和解のためのプロジェクト」第一弾として、ソウルへの旅に参加させていただきました。広島の幟町教会からは、3人の青年が参加しました。

  今回の旅では、近現代以降の日本と韓国の間の歴史と今もなお残る問題を学び、その傷を悼み、自分たちの国がしてしまったことを知った上で、韓国の青年たちと平和について分かち合う機会をいただきました。
 

  1日目のはじめは、日本の朝鮮学校を支援しているモンダンヨンピルというNGO団体の運営するカフェに伺いました。朝鮮学校というもの、ヘイトクライムなどの被害、モンダンヨンピルの啓蒙活動、朝鮮学校について日本の多くの人が持っているイメージが偏見であることを学びました。

  次に、戦争と女性の人権博物館に伺い、慰安婦問題はもちろん、南アフリカやベトナムの戦争で性暴力の犠牲になっている女性たちについての展示を観ました。私は、この博物館に行く前は慰安婦問題については白黒はっきりつけられない問題のように思っていたのですが、多くの酷似する証言や資料を観て、日本が組織立って行った深刻な戦争犯罪であることを知りました。そしてまた、被害女性たちについての展示を観る中で、加害国の人間でありながらもその傷がまるで自分自身や家族が受けた傷のように感じられました。

  どんな戦争の中でも女性が性暴力の被害にあっており、未だに被害が続いている現代の中で、そのような悲惨な被害が二度と起こらないようにと願う彼女たちの想いを知り、その平和を祈る少女像とも出会いました。13歳や15歳の子供時代に性奴隷にされ、想像するのも恐ろしいほどの傷を受けた彼女たちが、世界中の女性たちのことを考えて力を振り絞っている活動には本当に温かい想いがこもっていると感じました。
 

  2日目は(日本からの)独立記念館を訪れました。広大な敷地に記念碑や展示パビリオンがいくつも設置されている様子は、日本植民地からの独立は日本人が思っている以上に韓国にとって非常に重大な歴史なのだと感じさせるものでした。独立運動の勇士たちの活躍を見ると、日本と韓国での歴史の伝えられ方に差があることも明らかであり、戦争において他国に虐げられ、故郷だけでなく文化や歴史までも奪われてしまうことの深刻さがまざまざと伝わってきました。
 

  3日目の午前中は、日本軍が植民地化の数年前に設立した西大門刑務所(ソウル刑務所)を見学しました。この刑務所は日本敗戦後も独裁政権下でそのまま使用されており、1987年に閉鎖されました。現在は資料館として使用されています。私たちは、展示を観ると共に、1983年から1987年の民主化宣言までこの刑務所に収監されていた方(後に無罪判決)のお話も伺うことができました。そこで行われていた拷問や待遇の残酷さを垣間見、それは日本軍が残していったものであること、ここでもまた自分たちが受けた傷を他者に同じように与えてしまうといった負の連鎖の歴史を知りました。
 

  この日の午後は、イエズス会センターのイグナチオカフェで、韓国のカトリックの青年たちと分かち合いをさせていただきました。中井神父様のお話を伺った後、25人ほどの青年たちと一緒に平和について分かち合うことができました。

  私たち日本のグループの中には、この時までに学んだ歴史から、韓国の青年たちと語り合うことに不安を持っていた人もいました。また、韓国の青年たちの中にも、日本に良い印象を持っていなかった人もいたと思います。それでも、彼らは私たちの話に一生懸命に耳を傾け、理解し、力づけてくれました。そういった彼ら一人一人の姿勢に聖霊の働きを感じ、とても感動しました。分かち合いの後、彼らが用意してくれたパーティーでも私たちは色々なことについて語り合い、素晴らしい友人を得ることができました。
 

  ここまでの3日間で、日本では問題視されてきている朝鮮学校への差別が韓国ではほとんど知られていないこと、慰安婦問題を含む1910年以後の植民地としての朝鮮半島での出来事は、日本では十分に教育に取り入れられておらず、また正しく報道されていないものが非常に多いということなど、たくさんの衝撃を受けました。

  私を含む9人の日本の青年たちはそれぞれにその問題に共感し、様々な想いを持ったと思います。
 

  4日目には、韓国のカトリックの歴史についても知る機会をいただきました。韓国では、キリスト教を儒教以上に優れた宗教として国内から自然発生的に信者が生じ、その後の度重なる弾圧に耐えながらも生き延びてきた歴史があるそうです。多くの殉教者、聖人たちが守ってきた歴史の上に現在の韓国におけるカトリックの活発な活動があることをとても誇らしく思い、素晴らしい韓国での旅に名残を惜しみながら私たちは旅を終えました。
 

  この旅で特に大きな恵みを感じたのは、3日目にたくさんの韓国のカトリックの青年たちが私たちをとても温かく迎え入れてくれたことです。短い時間ではありましたが、私たちは同じ信仰のもとに平和について分かち合い、互いを知り、共にミサを捧げることができました。

  旅を終えた今、私は何人かの友人とこの旅について分かち合いました。その中で日本や韓国以外の国の人も植民地時代の問題に注目し、知っているということを知りました。改めて、旅に出る前は何も知らなかった自分がとても恥ずかしくなりました。日本人の友人とも話をしたのですが、政治的な問題を内包している話題でもあり、なかなかこの旅で得たことをうまく共有できずとても悲しくなりました。

  でも、この旅で得た仲間たちの温かいメッセージを見るととても勇気づけられ、今回知ったことを伝えたい、平和についてもっと色々な人と分かち合いたいと、想いが強くなっていきます。私たちは、仲間同士の結束を強め、また今回得たことを自分の生活に持ち帰って広げる努力をしなければならないと思います。

  この素晴らしい旅が平和のための最初のステップとして、日韓のカトリックの連帯がより強く続いていくことを願います。

  最後に、この旅に導いてくださった神様、企画してくださったイエズス会の中井淳神父様、支えてくださった多くの韓国の司祭、シスター方、この旅で出会えたたくさんの青年たちに感謝致します。

  この主のお導きに応えていくことができますように、どうかお祈りください。

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