社会司牧センタースタッフ紹介(2018)

  イエズス会社会司牧センターでは2018年4月現在、梶山新所長のもと、次の6人のスタッフ(パートタイムを含む)が働いています。この機会に、それぞれの自己紹介文を掲載します。この他にも、数名の協力スタッフ(多くはイエズス会員)がセンターの活動を支えてくれています。

 
安藤 勇 SJ

  東京のイエズス会社会司牧センターの一番古いスタッフメンバーです。日本で暮らす外国人を支援するための「移民デスク」を担当しています。
  私たちの職場には、色々な方から電話がかかってきます。私に会いたいと電話してきた人が約束通りセンターに現れて、「安藤先生はいらっしゃいますか?」と“私に”尋ねることがたびたびあります(!)。
  イエズス会の司祭ですから、日曜日にはミサを行うために、色々な教会に行きます。この間、よく訪れる教会で、ミサも説教も日本語でやりました。ミサが終わったころ、ある信者の方が私に本を手渡しました。それを読み始めた私に向かって、「あぁ、神父様は日本語が読めるんですか」とほめてくれました(!)。
  日本での生活はもう60年になります。帰化したのは30年ぐらい前です。出身はスペインですが、昨年末、向こうに行ったら、日本人旅行者として扱われました。
  イエズス会の神学生たちと一緒に、神学院に住んでいます。日本で一番若いイエズス会共同体です。

 
ボネット ビセンテ SJ

  私は、上智大学で人権やその他の社会問題について教えながら、またイエズス会社会使徒職委員会の委員として、当センターと長年かかわってきました。書物、『差別社会と人権侵害』『現代社会と人権』『飢餓と援助』などを著しました。また、大学生と共に「世界食糧デー」というグループをつくって、毎年世界の貧困と飢餓にかかわるテーマで、講演会やシンポジウムを企画しました。そして、「外国人登録法」に反対して指紋押捺を拒否した結果、滞在許可が更新されず、13年間許可なしで滞在することになってしまいました。
  現在、当センタースタッフの一人として、毎年「社会問題とカトリック教会の考え連続セミナー」をコーディネートしています。12回目になる今年度は、「キリスト者として日本社会の今を診断する」というテーマになっています。
  また、当センターで編集された『傷つけられた世界を癒すために』という書物の発行に協力し、他のスタッフの方々の協力を得て、イエズス会本部の「社会正義とエコロジー事務局」から発表されたレポート、『イエズス会の大学における正義の促進』と『グローバル経済における正義 ~持続可能で、誰も排除されない社会をつくるために~』の日本語訳ができました。
  そして、「カンボジアの友と連帯する会(かんぼれん)」というNGOの代表をし、「イエズス会サービス・カンボジア」の活動と協力しています。毎年、その事務局長である川地千代さんと共にカンボジアへのスタディ・ツアーを行っています。今年はその18回目でした。

 
川地 千代

  主な担当はセミナー2種類と、「カンボジアの友と連帯する会(かんぼれん)」の事務局、出版物校正チェック、それに小さな金庫の金庫番です。お茶くみはありません。
  まず、これまで様々な形式でセミナーをしてきました。25年目になる「アンソレーナさんと“開発”/“スラム改善”を語ろう」セミナー、体験学習、社会分析、ボランティアセミナー、そして近頃は特に教会と連携して「社会問題とカトリック教会の考え」連続セミナーを共催しています。毎年テーマを決め、専門家の輪講形式で、イグナチオ教会信徒会館で、2016年『ラウダト・シ』、2017年「家庭における愛」、今年度は「キリスト者として日本社会の今を診断する」です。
  次に、2001年にカンボジア・スタディ・ツアーを始め、2003年、責任者ボネットさんとツアー参加者全員及び仲間たちで、かんぼれんが発足しました。タイ国境に近いシソポンにあるイエズス会サービス・カンボジアが橋渡しとなって、カンボジアの貧しい人たち・障がいのある人たちへの人間を中心とした支援、連帯をしています。広範な地域を現地スタッフたちは、日頃から親しい関係を築き、村人たちの幸せのために労を惜しみません。私たちは毎年支援先を訪問し、現地スタッフと相談して支援項目を決めます。経済成長著しく物価も上昇し、2004年に家1軒400㌦が今では1300㌦に、通学用中古自転車(日本製)は30㌦が50㌦に値上がりました。都市部からインフラは整備されますが、幹線道路を離れると貧富の差は歴然です。それでも近年の支援内容は、衣食住から、人材を育てる教育に重点を置いています。子どもの学校教育はもちろん、家族やコミュニティへの農業のための少額ローンや農業技術向上による自立支援、ラジオ放送による啓蒙活動などです。

 
吉羽 弘明 SJ

  イエズス会のブラザー。しかし、イエズス会日本管区の会員の間ですら全く知られていない。味わい深い幻の銘酒か。あるいは路傍にころがっている石か。たぶん後者。
  これまで社会福祉/ソーシャルワーク教育を受け、聖イグナチオ教会で生活困窮者などの支援をしてきた。現在は社会司牧センターと聖イグナチオ教会に所属し、両者をつないで教会のみなさんにカトリック教会における社会教説や社会問題を考える機会をつくる役割を与えられている。また社会的に排除されている人々と関係する組織についての研究を行っている。最近は特に、カナダやオーストラリアの先住民政策の動向に関心がある。
  イエズス会は伝統的に、社会的に困難のある人たちに関与してきたし、また最前線で困難のある人々に学び、境界線に橋をかけようと努力してきた。私たちだけでなく、多くのイエズス会外の人々のすばらしい活動に刺激を受けてきた。社会司牧センターがこれからもカトリック内外を問わずに善意の人々と協働し、また活動が根拠に基づいて行われることでより一層の向上が図られるために、研究活動にも力を入れることができればいいのではないかと考えている。
  私の召し出しの原点は、以前仕事をしていた時に出会った、困難を抱えながら人知れず生きている人々の輝きに心動かされたから。ホームレス状態など、社会的孤立の状態にある人々などに大きな影響を受け、この人たちをともに歩みたいと考えた。今、どれだけともに歩めているのかはわからないが、これからも困難のある人の中に投入され、路傍にころがっている石であり続けたいと思っている。

 
田山 ジェシー

  私はシンガポール出身です。1996年に日本人男性と結婚して、東京に移り住んできました。現在、二十歳になる可愛い娘がいます。
  2010年10月から、イエズス会社会司牧センターの移民デスクのスタッフに加わりました。この仕事はこれまでで最も大変ですが、同時にやりがいがあります。私はこれまで、耳の不自由な方とコミュニケーションを取るために日本語の手話を学んだり、ホームレスの方が多く暮らす山谷にあるマザーテレサの家で働いたり、様々なボランティア活動を経験してきました。けれどもそれらはどれも、今やっていることほど、人々の暮らしと心に触れ、それを深く理解するものではありませんでした。
  移民デスクでは、外国人のための無料法律相談を提供しています。ビザ、在留資格、国際結婚、家庭問題、離婚、家庭内暴力(DV)、雇用、労働問題、労働災害、交通事故、裁判、その他外国人に関する法律問題などを扱っています。個別のケースに応じて、品川や牛久の入国管理センターに面会に行ったり、外国人が入管や病院、学校、裁判所、役所に行く際の同伴をしたり、彼らの家を訪ねたり、外で一緒に食事をしたりもします。
  日本で暮らす外国人として、私自身の経験から言えることは、日本語があまりよく分からない人は、生活にとても苦労するということです。言葉の壁があるため、法的な援助やアドバイス、相談が必要な時に、誰に話をすればいいか分からないのです。状況によっては私の手に負えないこともありますが、少しでも手助けすることができれば嬉しいです。

 
柳川 朋毅

  2014年の夏からアルバイトとして働き始め、現在は専従スタッフとして働いています。センター内では、「社会司牧通信」の編集・発行やホームページ・Facebookページの運用といった、主に広報に関する業務を担当しています。
  現在最も力を入れている社会活動は、死刑廃止運動です。日本カトリック正義と平和協議会「死刑廃止を求める部会」や「死刑を止めよう」宗教者ネットワークの一員としても、弁護士会や多くの市民団体、諸宗教団体と連帯しながら、日本から、そして地球上から死刑がなくなることを目指して活動しています。もちろん、単に死刑という刑罰がなくなるだけでなく、被害者も加害者も、ふさわしい支援によってどちらも幸せになれる社会、究極的には一人の被害者も加害者も生み出さない平和な社会の実現を目指しています。
  かつてJOC(カトリック青年労働者連盟)で活動していたため、労働問題にも引き続き取り組んでいます。若者を取り巻く社会状況・労働環境は、貧困や心の悩みによる生きづらさの問題とも深く関わっています。また、移住労働者や外国人技能実習生たちが抱えている苦しみとも不可分です。
  所属小教区では長い間、中高生会に関わっていました。また、前職として、短い間でしたが都内のミッションスクールで宗教教育に携わっていたこともあります。そうした経験から、平和・人権教育や青少年司牧についても関心があります。
  その他の多くの活動に共通しているのは、差別と排除のない持続可能な共生社会の実現です。経済的・社会的地位、病気・障がいの有無、性自認と性的指向、人種・国籍や民族的ルーツ、言語・文化・宗教の違いにかかわらず、すべての人が差別なく共に幸せに生きられるかどうか。犯罪を含めた様々な過ちや失敗に対して、排除の論理ではなく、どれだけ寛容に包摂できる社会を共に築いていけるかが問われています。

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