バチカン国際会議「核兵器のない世界と統合的軍縮の展望」

戦争は人間の心の中で生まれる ―平和・開発・軍縮―

和田 征子(まさこ)
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)事務局次長
日本基督教団 洗足教会 長老

  昨年は7月に「核兵器禁止条約」が国連で採択され、10月にはICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のノーベル平和賞受賞が決まるという、被爆者の運動にとっては大きな前進の年でした。そして更に11月10日-11日に、バチカン(ローマ教皇庁)「人間開発のための部署」の主催で、「核兵器のない世界と統合的軍縮の展望」と題する国際会議が開かれ、私は被爆者として招待を受け、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)から出席いたしました。

  ローマ教皇庁が軍縮に関する会議を開くのは初めてとのことでした。背景には核兵器禁止条約の採択と、核兵器使用の可能性が懸念されている現在の緊張した世界の状況があると考えられます。この会議の趣旨として提示されたのは、キリスト教の基礎にある「平和」と「開発」の概念でした。そして今回、『軍縮』という語が追加されました。

  「各自およびすべての人々の『統合的人間開発』なくしては、真の永続的な平和はありえない。同時に軍備の削減は、その根源にある暴力を根絶することなしにはあり得ない。人類にまず平和、善、正義を求める決意がなければならない。あらゆる種類の悪と同様に、戦争は人間の心の中で生まれるものである(マタイ15:19、マルコ7:20~23)。軍縮とは国家の軍備だけではなく、自らの心を武装解除して平和を作り出す者となるようにすべての人間に関わることである」と記されていました。
 

  参加者は教会関係の枢機卿・司祭、牧師らの宗教指導者、市民社会代表、政府と国際機関の代表、著名な学者、ノーベル平和賞受賞者、学生など招待者をはじめ、約300人。それぞれのセッションで社会的に大きな影響力を持つ方々――地雷禁止国際キャンペーンのジョディ・ウィリアムズ、北アイルランド問題の平和解決に貢献したマイレッド・マグワイヤ、貧者のために創立したグラミン銀行のムハマド・ユヌス、中満泉国連軍縮大使、IAEAのモハメド・エル・バラダイ、NATOのローズ・ゴッテモローらの発言を聞きました。

  私もスピーチの機会を与えられ、「核兵器の人道的結末と平和への道」のセッションで被爆者のこれまでの運動、証言、そして非人道的な核兵器廃絶への訴えをし、共感の拍手をいただきました。
 
  10日、教皇は参加者への特別謁見の際、演説をされました。「核兵器の使用による破局的な人道的・環境的な影響についても、心から懸念せざるにはおれません。いかなる種類であれ過誤の結果として偶発的な爆発が起こる危険性も考慮に入れると、核兵器の使用と威嚇のみならず、その保有も強く非難されるべきです。核兵器は紛争の当事者だけでなく、人類全体に影響を及ぼす恐怖の心理を助長するために存在しているからです」。

  これらの言葉は被爆者が運動の中で長年訴えてきた思いで、誠に力強いものでした。そして教皇は更に「…極めて重要なのは、広島と長崎の原爆の被害者である被爆者ならびに核実験の被害者の証言です。彼らの預言的な声が、何よりも次の世代のための警告として役立つことを願います」と述べられました。

  報道では一般的な「予言」の文字が使われていますが、私は聖書に基づき「預言」の文字を使いたいと思います。被爆者の体験・存在は身をもって神様から託された「預言」としての力を持っており、被爆者の使命は、その預言を成就することにある、と考えるからです。

  演説の後、参加者全員が謁見をゆるされました。7月に採択された「核兵器禁止条約」は9月20日に署名が公開され、バチカン市国はその初日に署名・批准をした国の一つです。私は長崎の被爆者であること、禁止条約への署名・批准をすでにしていただいたお礼と、核兵器廃絶を求める「ヒバクシャ国際署名」への賛同をお願いし、イタリア語の署名用紙と折鶴をお渡しいたしました。まだ署名の返送はなされておりませんが、必ずいただけるものと思っております。期間中、バチカンの最高幹部の枢機卿、ノーベル平和賞受賞の方々の署名もいただきました。

  国内外の15社くらいのメディアの取材を受けました。バチカンの国営放送は毎週日曜日の朝2時間、カトリックの番組を放送しているとのことで、ホテルの屋上で、青空のもと聖堂を背景にしてのインタビューは、感銘深いものでした。AP通信アルジャジーラなども、十分な時間がとれない取材もありましたが、一人でも多くの人、場所に核兵器廃絶の願いと運動を届けたいと思いました。
 

  11日、この会議の最後に出された暫定的結論の中に「すべては結びついている」という言葉が繰り返され、世界が抱える様々な問題の関連が示されています。これは教皇が謁見時の演説で再度引用された、ご自身の過去のメッセージに他なりません。

  「軍拡競争は激化を続けており、核兵器だけでなく兵器の近代化と開発の対価は、諸国にとって大きな財政負担となっています。そのために、貧困との闘い、平和の促進、教育、環境および医療プロジェクトの実施、人権の発展など、人類が直面している真の優先順位は、二次的な位置に追いやられてしまっています」『核兵器の人道的影響に関する会議へのメッセージ』2014年12月7日参照)。

  人が人として生きるために、優先されるべき課題は、すべて関連しています。非人道的兵器の開発のために費やされる多くの資金、労力、時間のために、多くの「人間的開発」がないがしろにされています。そのためには「すべての人が結ばれる」こと、包括的な対話の重要性があげられています。

  「核兵器国と非核兵器国が関与し、市民社会、国際機関、政府、宗教界が参加すべきであり、特にカトリック教会は、あらゆるレベルでこの対話を進めるために努力することによって、すべての人が結ばれ、核兵器をなくし、統合的な人間開発に力を注ぎ、平和を築くことができる。この暫定的結論が終わりではなく、これからの対話と行動の始まりである」と締めくくられています。これらの結論は、バチカンとして、さらに国連会議をはじめ、他の国際会議の場でも発信され、核兵器のない世界へと、力強くリードする指針であると思います。
 

  祈りに始まり、祈りに終った国際会議です。11日には、礼拝にも招かれ、世界中で平和を祈り、奉げられている礼拝を感謝し、胸が熱くなりました。被爆者であることとクリスチャンであることは、私の中ではコインの両面です。フランシスコ教皇のツイッターの言葉「政治活動はこころからなる、人間への奉仕、共通善への奉仕、さらには被造界を守る奉仕のためになされなければなりません」は、私のこれからの行動にさらに大きな確信を与えるものでした。

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