和解に向かって漕いでいく

―カナダのカヌーによる巡礼―

エリック ソレンセン SJ (神学生)
イエズス会イングリッシュカナダ管区

  巡礼は宗教と文化の境界線を越える古くからの霊的な習慣だ。人々は数千年にわたって、神聖な場所を訪ねるために旅に出かけてきた。巡礼者が旅に出ている間、彼らは目的地それ自体と同じようにその旅が神聖であることを学んできた。今年の夏、旅人たちのグループは、その旅が目的地を作り出す経験を直接する機会があった。

  私たちの巡礼の旅は2017年7月21日にカナダの殉教者教会(オンタリオ州)を出発し、8月15日にカナワケ・モホーク・テリトリーの川岸にある聖カテリ・テカクウィサ教会(ケベック州。聖カテリ・テカクウィサは先住民の聖人)に到着した。この2つの神聖な場所の間をたどる水上の旅でカヌーを漕いだ私たちは、この旅に没頭させられた。漕ぎ手の中にはイエズス会員、他の修道者、たくさんの信徒の男女がいた。重要なことは、先住民と非先住民の両者がこの旅をともに分かち合ったことだった。私たちの巡礼の旅は、お互いの語りに耳を傾けることによって、私たち自身を知り、また他の巡礼者を知るものとなった。

  和解は、私たちの巡礼の旅のテーマとなった。私たちはこの一か月、タートルアイランド(先住民の言葉で「北米大陸」を意味する)の先住民とヨーロッパ大陸からの新たな到着者との関係の上に特徴づけられてきた、500年以上の入植、虐待、そして文化的な大虐殺が解決されてこなかったことを知ることとなった。しかしながら、私たちは真理と和解委員会(The Truth and Reconciliation Commission:カナダ政府と先住民との間の取り決めに基づいて、先住民を強制収容したレジデンシャルスクールについて調査し、和解へと導く活動をした)や和解に向けてなされた他の具体策(あるいはこの場合、カヌーを漕ぐこと)における働きに奮い立たされた。

  私たちはこれをどのようにしたのか。極めて端的に、私たちはお互いを知ることになった。私たちは安心して聞くことのできる、そして聞いてもらえる場を作った。真の和解のためには、誰と、そしてなぜ和解していくのかを知る必要がある。「カヌーの漕ぎ手」にとって、この癒しのプロセスにじかにかかわりたかった。和解の抽象概念について、切に熱心になることはほとんど無理なことだ。しかし、幾世代にもわたる心の傷の体験をあなたに友が分かち合うのを聞いた後であれば、和解と癒しについて熱心になることはもっと簡単になるだろう。私たちはカヌーの漕ぎ手たちによる会話を通して、KAIROS Blanket Exercise(カナダでの先住民と非先住民との間の歴史的・同時代的な関係について知るためのプログラム)への参加を通して、小グループでの分かち合いの機会を通して、そして最も重要なこととして巡礼の間成長させられた個々人の関係性や会話を通して、和解のプロセスを実現させることを始めた。グループ内のこうした対話の促進の方法は、体系化されたもの、そして非体系的なものの両者があった。これはとても大切なことであり、なぜならより深淵な場へと飛び込んでいくこと、そしてもっと心からの、異なる巡礼の仲間と分かち合う体系化された場のいくつかを提供したからであった。長いこと行われてきた視点や信念のこもった会話は挑戦を求められ、また微妙なずれがあり、そこで個人的な変容が起こった。

  全体的にこの旅はスムーズで簡単なものだったとはいえない。私たちは困難の分かち合いを体験した。最初のチャレンジは身体的なもので、舟を漕ぐことは大変な作業だった。筋肉痛、ちょっとした打撲、そして疲労困憊させたものは日課のすべてであった。早朝(午前4時30分起床)、長い一日、そして(固い岩盤の)カナダ楯状地でのテント張りはみんなの苦痛と対処能力を試みたが、私たちはやり通した。いつでも、多様な人々のグループが一緒になって、その人たちがぎゅうぎゅうの宿に入れば、個人的な争いへと発展する限界がある。私たちのグループも異なることはなく、しかしこうした課題はただただ私たちを強くすることを学んだ。スケジュールもまた、私たちにチャレンジを与えた。この旅で、計画したように、私たちは毎日、グループでの祈り、振り返り、分かち合いの時間を持つことを希望していた。しかしすぐに、厳しい条件で毎日8時間から10時間舟を漕いだあとで、一日の終わりに長い祈りなどをするエネルギーが不足することに気づいた。私たちはいかに活動を最善にするのかに創造的になる必要があり、定期的にスケジュールを交換したり変更したりした。全体として、こうしたチャレンジはただ、グループのきずなを互いに深めるのに役立った。

  ジョージア湾の極めて隔絶された場所とフレンチ川からノースベイに向かい、そしてオタワ川に移動する巡礼において、私たちは自分たちの重点を変えた。前半の旅程でグループとしての経験をしたことで、後半で出会ったコミュニティと分かち合う機会を持つこととなった。ノースベイからモントリオールまで、私たちはたくさんの小教区や信仰共同体、街によってもてなしを受けた。それぞれの段階で、私たちの巡礼の旅の経験をそれぞれの土地のコミュニティと分かち合った。これらのコミュニティは、食料、シェルターのような私たちのニーズを提供してくれることによって、私たちの巡礼に加わった。休憩地で出会ったホスピタリティはすばらしいもので、私たちへの神のはからいの証人がいつも提供された。

  オタワからモントリオールまで、イエズス会フレンチカナダ管区の使徒職であるMer et Monde(国際支援を行っている組織)からのグループが参加した。私たちの旅にすばらしいフランスの構成要素を持ち込むことによって、豊かさが加えられた。私たちはより多様性が増すことによって利益を得て、そして2018年のカナダの新しい管区の設立をみな楽しみにしている。幸いなことに、この協働はこれから行うことの小さなスナップショットである。

  将来を見据えて、私たちはこの巡礼の旅を終えたのではないことを理解している。カナワケに到着した時私たちを先住民の土地に歓迎したバンドメンバーは、この旅は始まったばかりであることを私たちに気づかせた。この巡礼は私たちにとって出発点だ。それぞれのコミュニティに戻っている巡礼者の舟漕ぎたちは、友人、家族、そして仲間たちと経験を分かち合っている。私たちの多くが和解への旅にかかわり続ける機会をもっと求めるであろうことを、私は知っている。目下、私たちはより具体的に、どのように他のグループとこの経験が分かち合われる可能性があるのかを考えているところだ。もしかしたら、将来私たちは年に一回のカヌーによる巡礼で会うかもしれない。

【参照】
和解への挑戦 -カナダでの先住民政策にかかわる試み- / 吉羽 弘明 SJ(『社会司牧通信』194号掲載)

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