~日韓イエズス会社会使徒職会議を終えて~
森 晃太郎 SJ (神学生)
この世界はいつの時代も争いや分裂、対立が絶えない。1人ひとり人間が違う限り、その違いが自身の中で無意識の内に他者との間に線を引く。国籍や性別、身分、言語など、様々な要素によって引かれたこの線は、時に痛みや苦しみ、憎しみ、恨みによって傷を生み、互いの間で自力では修復不可能な溝となる。その最も大きな規模とも言える溝は戦争によってもたらされ、今もその溝は埋められず、傷も癒えていない。
2017年の夏、「北朝鮮ミサイル発射」というニュースがメディアの間で飛び交う中、9月4日から6日にかけて韓国ソウルのイエズス会センターで行われた日韓イエズス会社会使徒職会議に参加した。1日目は3人の講師を迎え、それぞれ「北東アジアの平和とMDとTHAAD(サード)」「平和と人権」「基地村の女性たちの生活と国の責任」と題して話を伺った。
「北東アジアの平和とMDとTHAAD」では、韓国を守るためにTHAAD(中距離ミサイル)は必要であるかという問いかけを軸に、MD(ミサイル・ディフェンス)とTHAADについての基礎知識を学び、MDがあっても実際に守れる保障がないことやTHAADの裏にあるアメリカの意図、中国との関係悪化への懸念など、THAADと我々が共存できないことを学んだ。そして、THAADがもたらす武力による平和は、さらに各国の間の溝を広げる原因となることを感じた。
この話の中で、北朝鮮との関係において武力ではなく知恵を持って共存することで新たな可能性を見出そうとする側面と、北朝鮮ミサイル発射とメディアの過剰な反応による人々の恐怖をあおっている側面、さらには我々が感じる恐怖と同様、北朝鮮もアメリカから70年余りもその恐怖を受けてきており、北朝鮮だけが悪者扱いになっているような側面を考察した。そしてこれらの側面の背景に、我々に隠されているところで働きかける支配的動きと、それに対して見て見ぬふりをしている自分たちのあり方にこそ、良心の呵責として恐れを感じることが大事であることを思い巡らした。
「平和と人権」では、慰安婦問題解決のために活動を続ける人々の話を伺った。戦後50年、消し去られ埋没されていた問題。被害にあった人々にとっては恥ずかしく、苦しい歴史。誰にも話せず彼女たちが背負い続け、押し込めていた重み。その癒えぬ傷を抱える人々と傷つけたことを認めない人々とのあり方が今も溝を生んでいる。1991年8月14日、1人の被害者女性が公開記者会見を行ったことで、慰安婦問題の実態が明らかとなった。そしてその打ち明けていくことで解放されていく姿に、他の人々も立ち上がり、いつしか女性たちは被害者から活動家へと新たな道を歩み始めた。
慰安婦問題の根本には、「騙された」という人間同士の関わりにおける傷を作る原因が潜んでいる。その当時、日本政府からの仕事の誘いによって、家族のために他国へ行くと意志表示した女性たち。しかし待ち受けていたのは性の道具として利用されたことであった。そして日本のお詫びが何に対するものであるのかが見えてこないその不透明さ、曖昧さに彼女たちはデモなどの活動を通して訴え続けている。さらには、2015年12月28日、日韓外相会談において少女像(従軍慰安婦女性を模した像)撤去の出来事によって互いの関係にますます溝を作ってしまった。
「基地村の女性たちの生活と国の責任」では、韓国政府が運営していたアメリカ軍基地に隣接してあった慰安所で管理されていた女性たちの問題について話を伺った。彼女たちが性暴力による被害を受け、強制的に薬物を投与されていたこと。政府が関わっていたことによる暗黙の了解と、警察も関係し女性たちが逃げられないような仕組みができあがっていたこと。周囲の人々は悪いと思っていながらも目をつぶっていたことなど、1つ目と2つ目の話がまるで繰り返されているかのように、人間の持つどうしようもなさとそれによって傷つけられた人々の姿が何度も私の心をよぎった。
2日目は、1日利用してDMZ(非武装地帯)ツアーに参加した。人生で初めて韓国と北朝鮮の境界に立ち、これまでニュースでしか見ない遠い国の話のような感覚にあった北朝鮮に対し、望遠鏡越しではあるが見ることができたのはとても重要なことであったように思う。望遠鏡を覗き込みながら、いったい人々はどんな暮らしをしているのだろうか、人々は自分たちの国に対し、他国に対しどんなことを心に抱いているのだろうかと思い巡らしていた。そして、目の前に青々と広がる草木を見ると、人間の建てた柵がとても空しく見え、自然界にとって境界線はないのだなと感じた。
しかし一方で1日目の話を聞いていたこともあり、この柵をきっかけに韓国と北朝鮮が和解するという可能性もあることから、自分たち次第でこの境界線は平和と破壊両方へとつながる可能性を秘めていると感じた。また、ツアーの中で北朝鮮が韓国に侵入するために掘ったとされる長さ1635m、高さ1.65m、幅2.1m、地表面から73mの第3トンネルを見学した。ここでも、相手にバレないように穴を掘り侵略を試みるという行為に、人間が生み出している溝を感じた。
夕方には戦争と女性の人権博物館を見学し、1日目に学んだ慰安婦問題について実際に残っている資料や証言、被害にあった人々の姿を通して、よりこの問題の理解を深め考えることができた。
3日目は「韓国日本ネットワーク実践方案」と題して、国際連帯について話を伺った。話の中で韓国における国際連帯の歴史の流れを学び、連帯とは何であるか、活動の目指している目標、行動する具体的な形はどのようなものであるかという問いかけを軸に、その問いかけを「連帯」というキーワードで考察した。そして、国を超えた平和と和解のために何ができるかを共に考えた。
午後からは日韓それぞれが国ごとに分かれこの3日間を振り返り、感想やこれから日本と韓国が具体的にどのように関わりを続けていけばいいのか話し合った。そして最後に互いの国で話し合ったことを発表し、会議は終了した。
冒頭でも少し触れたが、この3日間、私の心にはずっと「境界線」という言葉が浮かんでは消えていた。人と人との間に引かれた線によって溝を作るのは人間自身であり、その境界線を、平和を生むチャンスにするか分裂の材料や理由にするかは紙一重である。韓国と日本、北朝鮮と韓国、女性と男性、被害者と加害者、この関係性の内に互いを見ていたら、韓国の人、慰安婦の問題に関わる人から見れば、いつまでたっても私は日本人であり、男性であり、加害者の立場になってしまう。だからと言って、戦争によって生まれた溝を見て見ぬふり、なかったことにする、忘れるということはあまりにも無責任である。
ではいったい我々には何ができるのだろうか。できてしまった溝をどうすれば埋めることができるのだろうか。私は思う。溝は自力で埋められるものではないと。もちろん、埋めるための努力は必要だが、人間が互いの違いに対し否定し溝を作るのではなく、それを肯定していくところに人と人との本来のあり方があるとするならば、できてしまった溝はその本来の人間同士のあり方が崩れてしまっている以上、自力で埋めれば、それはなかったことにする、隠す、忘れ去るものでしかないように思う。
そうではなく、辛く苦しいことではあるが、自分のどうしようもなさを素直に認め、赦しを願うことと、受けた傷を抱えながらもそれでも赦すことによる互いの関係が必要である。それによって同じ位置に立って対話ができ、赦しと癒しによる平和が実現するのではないだろうか。そしてこの逃げたくなるような、目をそらしたくなるようなプロセスに手を差し伸べてくれたのが神様なのかもしれない。このアクションを先に起こすところに、平和への第一歩があるように思う。