「危機」にあおられて独裁を招くのか

―自民党改憲草案「緊急事態条項」を考える―

伊藤 朝日太郎
弁護士、日本基督教団信徒

1、戦後70年の行き方を変えた5年間
  2013年以来、戦後70年の行き方を転換させる政策が次々に採用されています。2013年には、行政機関の長(大臣や都道府県警本部長)に様々な情報を秘密指定する権限を与える秘密保護法が制定されました。秘密保護法は、秘密情報を漏らそうとした公務員はもちろん、情報を漏らすよう働きかけたジャーナリスト等も厳罰に処することができ、報道の自由、言論の自由に深刻な影響を与えることが懸念されています。

  2014年には、これまで日本政府自身が憲法9条のもとでは認められないと説明してきた集団的自衛権の行使(日本が武力攻撃を受けていない場合でも、同盟国が受けている武力攻撃に対して日本が「反撃」すること)を認める旨の閣議決定がなされました。2015年には、集団的自衛権の行使を認めるとともに、自衛隊を海外の紛争地域に派遣して兵站作業を行わせることを認める安全保障関連法制が、強行採決により成立しました。

  2016年には、通信傍受法(盗聴法)も「改正」され、警察が盗聴できる犯罪の範囲が大きく広がりました。そして、今年2017年には、何も悪いことをしていなくても「犯罪の計画を立てた」だけで処罰する共謀罪の趣旨を含んだ組織犯罪処罰法の改正案が国会を通りました。

  他方で沖縄の名護市辺野古地区では、アメリカ軍海兵隊の新たな軍事基地の建設が、地元の民意を踏みにじって強行されています。世論調査の結果からも明らかなように、沖縄では新基地建設反対の意見が多数を占め、県知事や県議会の多数派も新基地建設に反対。衆議院や参議院でも沖縄の選挙区で当選した議員は全員が新基地建設反対の立場です。それにもかかわらず、「本土」の民意は沖縄に冷淡であり、新基地建設反対運動を誹謗中傷する声も広がっています。

  また、翁長沖縄県知事は仲井眞前知事が行った辺野古の海面埋め立て承認処分を取り消しましたが、なんと裁判所は翁長知事の決断を「違法」と判断しました。しかも、新基地建設反対運動のリーダーが「威力業務妨害」等の罪に当たるとされて逮捕され、長期間の身柄拘束を受けたあげく、有罪判決を受けました。裁判所(司法)も、様々な理由をつけて、辺野古新基地建設の強行を是認していると言われても仕方ありません。

  この5年間の流れの根底には、深刻な社会の分断があると思います。安全保障政策については様々な考え方があると思いますが、少なくとも「本土」の「安全」のために、沖縄を犠牲にすることは許されないと私は考えます。しかし、実際には、沖縄の必死の訴えに対して冷笑的に答えるという態度が私たちの間に蔓延していないでしょうか。また、私たちの国は、朝鮮の核開発やミサイル発射を脅威ととらえ、声高に非難しますが、核問題や拉致問題のために粘り強い対話を重ねる努力をしてきたでしょうか。

  「戦争」や「テロ」の不安をあおる声が高まっています。しかし、ヨーロッパの先進国を含む世界の多くの国は、朝鮮の核実験や人権抑圧を強く非難しつつも、朝鮮と外交関係を持ち対話の努力を続けていますし、朝鮮で飢餓が発生した時には人道的な救援の手を差し伸べています。日本政府も、小泉首相が訪朝した時は、植民地支配について率直に反省の言葉を述べ、国交正常化と経済協力に言及するなど対話の努力を重ねた結果、朝鮮政府に拉致の事実を認めさせ、謝罪と一部の拉致被害者の帰国を実現するという成果を得ました。武力による威嚇ではなく、対話によって事態は前進したのです。

  国内においても「テロ」や犯罪の脅威が語られますが、大規模なテロリズム犯罪は1995年の地下鉄サリン事件以来ほとんど発生しておらず、殺人事件の発生件数に至っては2015年に戦後最低を記録しました。

  危機にあおられて近隣諸国や社会の中に分断線を引き、武力や権力による威嚇を行うことは問題解決を遠ざけ、かえって危機を招き寄せます。対話の道を探ることこそ、今求められていることではないでしょうか。

2、自民党改憲草案の先にあるもの
  しかしながら、この5年間政権を担ってきた自由民主党が掲げている「自民党改憲草案」は、対外的・対内的な危機をあおり、個人の人権を抑圧し、政府に権力を集中させることで「危機」を乗り越えるよう説くものです。

  以下では、自民党改憲草案の中で最も問題が大きい「緊急事態条項」の条文を具体的に見てみましょう。

  自民党改憲草案では、武力攻撃、内乱、大規模な自然災害その他の「緊急事態」の際に、総理大臣が「緊急事態宣言」を出すことができる、という条文が入りました。国会の承認は必要ですが、事後承認でも構わないことになっています。

  そして、緊急事態宣言が出された場合、事実上の独裁が認められることになります。

自民党改憲草案 第99条(緊急事態の宣言の効果)
1 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。
3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。

  ここでは、内閣(政府)の判断で「法律と同一の効力を有する政令」(緊急政令)を作ることができるとされています。つまり、内閣(政府)が命令を出しさえすれば、これまでの法律を書き換えることができる、ということです。これは、内閣(政府)が、立法権(法律を作る権限)を持つ国会と同じ権力を持つことを意味します。なお戦前の日本では、議会を通さなくても「緊急勅令」によって法律を上書きできる制度がありましたが、関東大震災や、2.26事件(軍によるクーデター)の際には「緊急勅令」によって軍の司令官に権力を集中させる「戒厳」が宣告されました。国会を通さずに政府の命令だけで法律を作ってよいとすると、このような「戒厳」宣告すら許すことになりかねません。

  もっとも、緊急政令には国会の事後承諾が必要だとされています。これは国会による民主的コントロールを定めたものとして、一定の意味があります。

  しかしながら、第1に、事後承諾では国会のチェック機能が十分に働きません。法律を作る前に国会で十分に議論するからこそ、安保法制や共謀罪の審議の時のように、国会審議の中で問題点が指摘され、メディアでも様々な議論がなされ、大規模な反対運動も起こり、法案の修正が検討される・・・という国会によるチェックの仕組みがかろうじて働くのです。ところが事後承諾の場合、法律(緊急政令)がすでに成立し、実施されてから、国会に持ち込まれます。一度できてしまった既成事実へのチェックはどうしても甘くなり、十分な議論もなく承認されることになりかねません。

  戦前の日本に前例があります。明治憲法のもとで、治安維持法という思想を取り締まる法律がありました。この治安維持法について、最高刑を死刑に引き上げる改正案が帝国議会に提出されましたが、議会では一度廃案になりました。ところが議会の閉会中に、政府は、「緊急勅令」によって治安維持法改正を行いました。のちに、この治安維持法改正の事後承諾を求められた帝国議会は、賛成多数でこれを可決してしまいました。議会の事後承認は歯止めにはならないのです。

  第2に、自民党改憲草案には、事後承諾されなかった場合に緊急政令が効力を失うという定めがありません。そのため、緊急政令が国会で否決された場合でも、緊急政令が将来的に廃止されるにとどまり、「なかったこと」にはなりません。

  たとえば、「軍事基地建設への反対運動を計画した者を処罰する」内容の緊急政令が作られ、その結果大勢の逮捕者が出たとしましょう。のちに国会は緊急政令を否決しました。その場合、逮捕は違法になるのでしょうか。国会で否決されたことで緊急政令は廃止されますから、緊急政令によって投獄された人たちは釈放されるでしょう。しかし、緊急政令が廃止されるまでの間、緊急政令は有効に生き続けているわけですから、緊急政令により逮捕されたり投獄されたりしたことは違法にはならず、緊急政令によって人権侵害を受けた人は泣き寝入りするしかなくなるのではないかと思われます。

  このほか、緊急事態の際には、政府(内閣)は、国会であらかじめ決めた予算を無視して(軍事費も含めた)お金を使うことができるようになります。

  また緊急事態の際には、だれであっても「公の機関」の「指示」に従う義務が課せられます。この「指示」は「法律の定めるところにより」出されるとなっていますが、法律で「政府は緊急事態の収拾のため必要なすべての指示を出せる」と書いてしまえば、結局は個別具体的な法律の根拠なしに、役所の指示に従う義務が発生し、従わない者を処罰することも可能となってしまいます。

  このように、自民党改憲草案の緊急事態条項は、国会の持つ立法権と予算の承認権を政府(内閣)に移して独裁を認めるとともに、政府が具体的な法律上の根拠なく様々な命令を発して国民を総動員できる「国家総動員体制」を作り出すものです。

  このように、自民党改憲草案は、「脅威」「危機」を強調して、政府への権力集中を正当化する構造を持っています。私たちの社会が、「脅威」を重視し、対話への努力を怠るのであれば、私たちは政府に独裁権力を与えることを求めるようになってしまうでしょう。対話の積み重ねか、「脅威」を打破するための「国家総動員体制」か。自民党改憲草案はそのような選択肢を私たちに突き付けているのです。

◆明日の自由を守る若手弁護士の会(あすわか)◆
http://www.asuno-jiyuu.com/

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