和解への挑戦 -カナダでの先住民政策にかかわる試み-

吉羽 弘明 SJ
イエズス会社会司牧センタースタッフ

1 問題の所在
  カナダでは1880年代から1996年までの長きに渡り、連邦政府によって先住民の子どもはコミュニティから引き離されてレジデンシャルスクールに収容され、そこで集団生活をさせられた。学校を運営したのは、主にカトリックを含むキリスト教諸教派である。学校は非常に悪環境であっただけでなく、教育は単なる記憶を強いられ、学校に奉仕するための過大な労働が科されて教育を受ける権利は侵害されていた。自分たちの言語の使用を禁止され、先住民の文化に基づく慣習を否定された。身体的、心理的、性的虐待もなされた。

  学校から逃れようとした子どもの中には、死亡した者もあった。カナダの歌手Gord Downieと画家のJeff Lemireは、1966年に学校から600キロ離れた自分の故郷に歩いて帰ろうとして途中で亡くなった一人の少年、Chanie Wenjackを追い、そのストーリーをピクチャーブック『The Secret Path』に著して、2016年にベストセラーとなった 。

  その帰結は、先住民をコミュニティから引き離すことによる文化の破壊であった。親の「悪影響」から分離し、白人と同じ思考と慣習を持たせようとしたこの同化政策は、キリスト教の教化や帝国主義の文脈とも結びついていた。

  実はこの種の政策はカナダだけではなく、オーストラリアやスウェーデンなどでもなされている。スウェーデンでは、北部に住むサーミ人の子どもをコミュニティから引き離して遠方で教育を行った。映画「サーミ・ブラッド」 (2016年)は、この出来事を一人のサーミ人の女性を通して描いている。劇中、子どもたちがサーミ語の使用を厳禁され話すたびに罰せられたり、キリスト教の教化が行われたり、また生徒を全裸にして身体測定や写真撮影をするシーンもある。学校の近くの住民には暴言を浴びせられ、暴行を加えられる。映画の主人公は学校から逃れて、同化によって自分の苦しみから逃れようとする。

  本稿では紙幅と取り上げる課題の複雑さ・広範さから、カナダの先住民のレジデンシャルスクールについて調査と和解の活動を行ったTruth and Reconciliation Commission of Canada(「カナダ・真実と和解の委員会」。以下、TRCと略す)の最終報告書を通して、傷つけられた人と傷つけた人との関係性とその修復の試みについて取り上げる。ここでは先住民政策の歴史の概観と和解のプロセスに焦点を絞る。同書にはそれ以外にも貴重な記録がなされているが、これらについては後日可能であれば報告したい。

2 カナダの先住民の権利と和解
(1) レジデンシャルスクールの歴史的経緯
  カナダにおいて先住民政策の大きな転換が示されたのは、現首相の父親であるピエール・トルドー元首相の在職時の1969年に出された、いわゆる「White Paper」からであるとされる。人権が制約されてきた先住民にはその他の人と同じ権利があるということが明確に述べられ、これまで行われてきた土地の収奪、文化の棄却の強制、種々の虐待などを公に誤りと認め、その後の法改正や補償の実行などにつながった。誤りの一つとして数えられた130のレジデンシャルスクール(収容者総人数15万人)は、一部は90年代まで残ったものの、80年代には大半が閉鎖された。

  1996年にはRoyal Commissionが先住民政策の変更を提言し、次第に先住民政策について議論されるようになったとされ、2008年には「Indian Residential Schools Settlement Agreement」に基づいてTRCが設立された。TRCには2つの役割を与えられた。すなわち、①先住民についての文書や告発を収集し、教会が運営したレジデンシャルスクールについての歴史の複雑な真実を明らかにし、また先住民の力を称え、勇気づけること、②真実を明らかにし、癒しの過程に関与し、先住民の家族と非先住民・コミュニティ・教会・政府、そしてカナダ人全般との間を和解へと導き、このことで包摂と相互理解・尊敬の新しい関係になるように働くこと、であった。

  この目的に基づいて様々な地域でミーティングが行われ、それぞれの立場での現在の取り組みをシェアし、またレジデンシャルスクールの先住民の元生徒がどのような経験をしたのかを語る場を設けた。その他、パネルディスカッション、先住民の文化を表現する場の設定、教育現場での先住民を含めたディスカッションなども行った。TRCはその結論を待たずに人々が和解のプロセスに入るように促したが、これに応えて若者の交流、先住民と交流した子どもたちの発言の場などが設けられた。2015年に先住民とレジデンシャルスクール関係者、首相などが一堂に会した最終会議がオタワで行われ、その後解散した。

  レジデンシャルスクール関係者の謝罪は、新たな関係を築くためのきっかけとなるものである。運営主体の教会関係者については、1986年にUnited Churchがすでに謝罪を公にしていたが、1993年にはアングリカン、1994年に長老派教会が、またそれぞれの時期にカトリックのレジデンシャルスクールにかかわった修道会が謝罪を公表している。政府関係者等については、2008年には首相、議会の代表や政党が、2004年には連邦警察が謝罪を公表した。

(2) 和解のプロセスと困難、希望
  TRCは「和解」の定義づけを次のように行った。すなわち、①先住民と非先住民との間に相互に尊敬する関係を作り、維持していく、②過去への気づき、加えた痛みを認めて贖い、行動を変えていく、というものである。そして現在は和解に至っていないが、至ることができ、またこれを維持していくこともできると信じている、とした。

  TRCの集まりで述べられたレジデンシャルスクールにおける虐待を受けたサバイバー(元生徒)の語りは印象的だ。サバイバーとレジデンシャルスクール関係者との間で摩擦も起こった。あるレジデンシャルスクールの校長をしたカトリックの司祭は、「完璧でなかったが可能な限り安全で愛すべき環境が子どもたちに提供されていた」と述べ、サバイバーや家族から「真実を語れ」と述べられる場面もあったとされる。この校長の発言に対してこの学校のサバイバーは、「校長は事務所にほとんどいて、何が起こっていたか知らない」「(事務所の)ドアを開けようと思わなかった。何が自分に起こるかわからなかったから」「私は今、癒しの旅を始めました」と述べている。自分の経験を述べる場を持つに至ったサバイバーの癒しの過程に関係者が立ち合い、学校関係者が自分たちのしてきたことに問題があったことを認めつつも、元生徒の言葉を聞くことがとても難しいことが共有されることになったとされる。TRCは「こうした真実を語る権利の過小評価をすべきでない」とし、また単に不正を暴くだけでなく、こうした言葉はTRCのステートメントに入れられる必要があるとした。また、和解について「真実と正義と癒しなしに、真の和解はない。悲しい過去の一章を閉じることではなく、新しい和解の癒しへの道筋を開き、真実と正義を作り上げること」だと述べている。

  現在、カナダではTRCが解散したからといってこの課題が語られなくなったわけではない。今も引き続き、和解への道が探られている。マスメディアでもしばしば取り上げられる。それはまさに先に述べた「和解への継続的な試み」が行われているのだともいえる。

  本論からはずれ紙幅もないため多くを述べることはしないが、日本においても内外の差別、虐待を受けた当事者と政府との和解を所望されながらも、和解の実現が現時点で不可能となっている事象が存在する。カナダの和解のプロセスにおいて意識化されてきた、調査、和解の場の設定、被害者の発言の保障、再発の防止の宣言、継続的なモニタリング、政府の宣言などが一体的になされていないのも一つの要因だといえる。

3 カナダ管区の先住民との和解への参与
  カナダのイエズス会はフレンチカナダ管区イングリッシュカナダ管区の2管区がある(2018年に統合予定)。イングリッシュカナダ管区は2013年のTRCの会議で、過去のイエズス会のレジデンシャルスクール運営について謝罪した。この宣言では、元生徒がイエズス会の学校によってではなく、彼らのストレングスによって優れた活動をしていることを賞賛している。

  宣言に基づきイングリッシュカナダ管区は、イエズス会が運営するレジスカレッジで先住民の歴史を学ぶ講義を設け、またイエズス会神学生は先住民の人たちとともに過ごすプログラムで彼らの苦しみや文化を学ぶ機会が与えられている。

  神学生の一人は先住民の一つFirst Nationの人々や信徒とともに、連邦結成150周年の今年の夏に800キロの川下りをカヌーで体験することを通して、和解と相互対話・理解を促進しようとしている。これらの試みは挑戦的かつ創造的であり、課題の理解を促す系統的な実践である。両管区とも社会使徒職については長い歴史がある。フレンチカナダ管区ではCentre justice et foi(正義と信仰センター)が運営され、長い歴史を持つ雑誌「Relations」の市販を通して社会に関与している。こうした歴史も、オープンネスで躍動的な活動に寄与している。また、社会正義への人々の認識は根本的に日本とは異なるだろう。

  末尾となるが、筆者は2016年に両管区の活動にかかわる皆さんなどから、カナダの社会問題についてお話をうかがう機会をいただいた。私の言語能力が極めて限られていたにもかかわらず忍耐してご対応くださり、将来への礎となるヒントを与えてくださったことに心より感謝しております。

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