【追悼】 薄田昇神父

高崎 恵子
旅路の里スタッフ

  薄田神父様の容態が思わしくないと知らされたのは昨年の暮れ、神父様が旅路の里の活動として力を入れていた高校生の釜ヶ崎体験学習の最中でした。高校生たちに釜ヶ崎の歴史や現状を語る薄田神父様の姿が、亡くなられた今も力強い声とともに昨日のことのように思い出されます。

  私が釜ヶ崎で働くことになり旅路の里に来たとき、薄田神父様と若者たちと猫2匹が私を迎えてくれました。薄田神父様はいつも小さな台所の食卓の定位置に座り、入れ替わり訪れる人たちに私を紹介してくれました。たくさんの人と挨拶を交わしましたが、名前も顔も繋がりも覚えきれない日々が続きました。毎日のように大勢の人々と出会い、特に若い人たちとの交流がたくさんありましたが、薄田神父様は私の仕事については最低必要なこと以外、ずっと何の指示もしませんでした。薄田神父様自身は社会問題に常に目を向け、裁判や集会に積極的に参加していました。裁判の内容や集会で語られたことなどを熱く語る神父様から、貧困や日雇い労働の抱える問題をたくさん学びました。最初は何をしたらよいかわからず戸惑いましたが、放任されつつも、私は時とともに育てられ、自分なりに旅路の里と釜ヶ崎という地域の中で必要と思われることを果たすようになりました。その後もずっと薄田神父様は私に助言らしいことも言わず、不満も言わず、悩んだり行き詰まったりしている時には慰めと励ましの言葉をかけてくれました。

  1980年代の初めに旅路の里が設立された当時からずっと釜ヶ崎で活動を続け、今も旅路の里に出入りしている人たち(当時の若者たち)が薄田神父様の訃報を受けて、神父様への思いを語ってくれました。「自分も含め当時の若者たちにとって、薄田神父のいる旅路の里は、ひとつのたまり場だった。薄田神父の度量の大きさを改めて感じるし、旅路の里という場があったから今日まで釜ヶ崎に関わることができていると思う。」「薄田神父は自分の中で今も大きな存在だと亡くなって気づいた。」「旅路の里にいていつも自分たちを受け入れてくれた薄田神父の生き様を思い起こしながら、釜ヶ崎での取り組みを続けて行きたい。」思い出を語る誰もが口にするのは、薄田神父様の寛大で自由な心です。私が旅路の里で日々体験してきた人々の出入りと交流は、神父様が大切に培ってきた旅路の里の原点だったのだと思います。薄田神父様は特に若い人たちとの賑やかな語らいが大好きでした。そして彼らにとって父親のような存在だったのです。そのような広くて大きな父の愛は彼らの心の中で今も生きています。そして釜ヶ崎に根を下ろした旅路の里はその活動とともに、今も自由で開放的な気風を受け継いでいると思います。

  私が薄田神父様と一緒に働いたのは、神父様の16年に及ぶ釜ヶ崎での生活の最後の5年間でした。そして私は旅路の里に来て今年で26年になります。薄田神父様が私を受け入れてくれたから、私はこうして釜ヶ崎で生きています。旅路の里に来た当初、神父様がたくさんの人々を紹介してくれたから、私は今もその関わりの中で人々と繋がって働くことができています。薄田神父様が亡くなって、改めてそのことを強く意識しました。

  薄田神父様、本当にお世話になりました。今までありがとうございました。この世でのお別れは寂しく悲しいことですが、これからは天国から旅路の里をどうぞ見守っていてください。

《薄田昇神父は2017年1月14日に帰天。享年87歳》

 

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