仏教者から見た『ラウダート・シ』:共同活動へ

ワッツ ジョナサン
国際仏教交流センター研究員(孝道教団・横浜)

  教皇フランシスコが2015年5月24日に発表した回勅『ラウダート・シ――ともに暮らす家を大切に』は、広範な問題を扱った根本的かつ革新的な文書であると、多くの人から称賛されています。実際、この回勅は環境問題を単純に描写し、個々人のエコロジー意識を啓発するのみに留まりません。教皇はむしろ大胆に、深い洞察力をもって、環境の危機的状況と、深く関係し合う世界の経済・政治・文化的課題とを結びつけました。近年、仏教者たちも、現場での環境活動と、仏教的観点から環境について書いた数多くの書籍という両面から、グローバルな環境危機の諸問題に取り組んできました。『ラウダート・シ』という画期的な文書が出版されたことを受けて、仏教者もまた、気候変動と環境に関する共同声明を作成しました(https://gbccc.org/buddhist-climate-change-statement-to-world-leaders-2015/)。

『ラウダート・シ』と仏教思想―共通理解と落とし穴―
  仏教者から見て、特に社会問題に取り組んでいる仏教者から見て、『ラウダート・シ』には、共通の洞察や同意ができる多くの領域があります。例えば、私たちの解放のための地球や「器」としての自らの身体の価値(98項)、すべてのものの相互依存(86項)、私たち自身と密接にかかわるすべての生き物への深いいつくしみ(89項)、「少欲知足」やシンプルな生活を通した、三毒(貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚癡(ぐち))からの解放(9項)などです。けれども教皇は、それらの問題を単に個々人のレベルに留めません。『ラウダート・シ』のまさに冒頭から、「世界経済の機能不全の構造的な原因の排除と、環境保護を担保できないことが実証された成長モデルの訂正」について深く話しています(6項)。

  仏教の立場から見て、『ラウダート・シ』の最も印象的で優れた特徴は、教皇が社会正義を常に強調しているという点です。仏教では一般的に、個人やコミュニティよりも大きな社会勢力の問題に対する意識が大きく欠けています。カルマ(業)によってその人の人生は運命づけられ、一種の自然的正義が生まれると信じられているからです。その最も極端な形は、苦しみを前世の不思議なカルマの報いであると考え、この苦しみは過去に行った悪業に対する罰として耐えなければならないとする仏教者の理解です。こうした理解は、貧しい人の窮状や裕福な人の幸運、身体障がい者の不運、特に女性の社会的地位の低さを説明するために用いられてきました。幸いなことに、ここ数十年、社会問題に取り組む仏教運動の台頭に伴い、環境危機といった社会正義の問題に対する仏教者の意識がだいぶ高まってきました。

  社会正義に関して、仏教者はキリスト者から多くのことを学べますが、キリスト者もまた、環境正義に関する理解を仏教者によってより深めることができる、相互学習があると思います。『ラウダート・シ』の第三章Ⅲで教皇は、「近代の人間中心主義の危機と影響」について詳細に語り、今日私たちが直面している様々な問題の原因となっている西洋キリスト教から生じた近代主義的動きを、見事に、きっぱりと否定します。そして教皇はこの状況を改善するため、次の二つの結論を述べます。(1)人間の創造力によって正しい自制を行うために、私たちは「世界を創造し、その唯一の創造者である御父」を必要としています(75項)。(2)私たちは「認識や意志、自由や責任という、人間に固有の能力の存在と価値が同時に認められるのでなければ、世界についての責任を感じ取るよう人間に期待することは不可能です」(118項)。

  しかしながら、仏教のアプローチは違った方法で自制と責任を発展させようとします。仏教では、私たちを支配する神人同形論的権威にではなく、むしろ宇宙全体の創造力と不可分の自然界と私たちの完全な相互依存から生じる、より自然で内的な動きに訴えます。タイの「森の聖」として有名なプタタート比丘(1906~1993)は、次のように洞察しています。「私たちの自然保護活動が有益で、正しく、偽りのないものであるということが大事です。では、どのような力や権力が自然保護のために使われるべきでしょうか。私たちの思い通りを強制する直接的な力も、権力の種類の一つです。しかし、明確に私たちの義務を理解し、意志をもって成し遂げるため、現実に対する正しい理解を作る力というものも存在します・・・。ダンマは心のエコロジーです。・・・自然のエコロジーの中でダンマは、あらゆる物事をとてもよく整えています。しかし、私たち人間はこの素晴らしい事実をまったくもって感謝していません。・・・精神の『自然』がよく保たれているとき、外側の物質的『自然』はおのずと保たれるのです。」

  私がここで強調しようとしている重要な点は、自制と他の生活様式への責任についての道徳的な勧告を用いて、環境のために行動するように人々を説得することは、非常に困難であるということです。 結局のところ、相互の愛や思いやりについて、教皇は非常によく似た理解を持っていると思いますが、神人同形論的訴えは、教皇よりも洞察力の低い人々によって誤解される可能性があります。

キリスト教と仏教の共同活動へ
  環境危機に関してキリスト教と仏教の理解が互いに補い合える方法を見てきましたが、最後に、共同活動について最も重要な点を明確にしたいと思います。現に教皇は、環境問題に向き合うためには、善意の個々人の活動から、より大きな集団的推進力へと移行することの必要性を明言します。私は、より大きな影響を及ぼす生活様式の変革のために、地方および地域レベルでの宗教共同体の集団的影響力に重点を置く必要があると考えています。なぜならそれらは社会レベルで実践しているからです。世界中の大部分のコミュニティに寺院、教会、モスク、あるいはその他の宗教施設が存在するのであれば、エコロジーの福音に従って活動するそれぞれの力は、教皇や他の宗教指導者たちがはっきりと述べたように、私たちのグローバルな経済・政治秩序の破壊的な力を抑止するだけでなく、変革をもたらすものとなるでしょう。

  私が25年以上働いてきた「社会問題に取り組む国際仏教者ネットワーク(INEB)」は、教育・アドボカシー・ネットワークづくり・巡礼・エコ寺院コミュニティの開発(かいほつ)などのために2012年に設立された「諸宗教間気候環境ネットワーク(ICE)」というサブネットワークを通じて、このような動きを発展させようとしています。私が深く関わっているICEのエコ寺院コミュニティのワーキンググループは、1990年代初頭に日本の大河内秀人師(見樹院住職)が始めたビジョンと活動――核のない日本を創り、コミュニティ内で環境意識を育む――から生まれました。エコ寺院コミュニティ設計システムとは、単に寺院の屋根に太陽電池パネルを設置するだけではなく、全体的な開発プロセスを含みます。この新たなネットワークはすでに、中国、韓国、ミャンマー、タイ、スリランカ、インド、日本の寺院とパートナーシップを結んでいて、太陽光発電施設の増設や様々なエコロジー工法の実施を支援しています。

  結論として、世界でも有数の宗教指導者の一人である教皇フランシスコが、これらの問題についてとても深く、また雄弁に語ってくれたことを非常に感謝しています。そして、『ラウダート・シ』の中で教皇が示した勇気とビジョンが他の指導者たち、特に仏教界の指導者たちを促し、彼らもまた同様のことを行うように願っています。

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