「この経済は人を殺します」

~2015年度の連続セミナーを終えて~

ボネット ビセンテ SJ
イエズス会社会司牧センタースタッフ

188_01  1965年12月7日に、第二バチカン公会議の最後の公文書、『現代世界憲章』は発表されました。そして翌日、3年にわたった同公会議は閉幕しました。その50周年に当たる、2015年度の連続セミナー〈社会問題とカトリック教会の考え〉のテーマは、「第二バチカン公会議と《今》」とし、『現代世界憲章』を中心にして、私たちの《今》を考えるようにしました。

  カトリック教会が公会議の文書をもって、カトリック信徒と他のキリスト者にだけではなく、全世界の人々に向かって初めて話しかけたのは、50年前でした。その公文書が『現代世界憲章』です。

『現代世界憲章』
  当時までのカトリック教会(教皇)は、長年、絶対的権威を主張していて、それによっていろいろと世界(社会)と対立していました。それは、政治政策にかかわることであれば、様々な国の政治権威者と。宗教にかかわることであれば、他の諸宗教の代表者と。そして文化にかかわる事柄(思想、出版、教育、良心などの自由)であれば、文化の革命と呼ばれる社会的な動きと対立しました。

  そのような、世界(社会)に対する拒否的ともいえる態度は、『現代世界憲章』で一変しました。それは、権威をもって自らの考えを押し付けるのではなく、謙遜になって人類に奉仕したい、自分がもっている福音の光を提供して、人類がぶつかっている様々な問題、不安と悩み、人生への問いかけに対する答えを見出すために役に立ちたいという態度への変化でした(『現代世界憲章』、序文と前置き)。

  そのために、まず当時の世界の状況を考察して、社会・心理・道徳・宗教的な変化、世界における不均衡、そして人類の最も深い問いかけや、願いと希望を取り上げました(同、前置き)。

  18~19世紀の教皇たちの発言と明確に対比して、第二バチカン公会議は、人間の尊厳、その知性や良心と自由の尊さを主張しました。また、共同体としての人類について、万人の本質的平等、共通善と社会正義、そしてそれらの実現のために、人間どうしの連帯、一人ひとりが自らの責任を果たし、公共の生活に参加すべきことに言及しました(同、第1部)。

  教会が人類社会と一人ひとりの人間に奉仕したいと主張する公会議は、緊急と思われた課題を取り上げ、それぞれについて、当時の問題点を指摘あるいは告発して、自らの考えを提供しました。

  それらの課題というのは、結婚と家庭、文化の発展とそれに関するキリスト者の緊急の責任、経済・社会生活と労働にかかわる様々な問題、政治共同体の生活と政治共同体と教会とのかかわり、そして平和の推進や戦争の回避と諸民族共同体などです(同、第2部)。

《今》を考えて
  信徒そして修道者として、当時のカトリック教会を体験していた自分にとって、第二バチカン公会議は画期的な出来事であり、それによって教会が本来にあるべき姿に近づく改革をもたらすものでした。しかし、地域によって、あるいは教会内のあるグループにとっては、そうではなかったのです。信徒、修道者、司教たちなどの間には、そのような改革を受け入れず、抵抗した者もいました。それに加えて、世界の社会や文化の急速な変化に対して、恐れを感じたり、応答できなくなったり(しなかったり)ということもありました。

  結局、教会が50年前に宣言した、世界と対立するのではなく、逆に世界に開かれ、人類に奉仕する教会でありたいということは、ある程度しか実現できませんでした。また、政治や経済にかかわる問題について、及び家庭や文化の役割について勧めたことは、ほとんど実行されませんでした。そのことは、現在の結婚と家族の危機と思われる実情、拡大し続けている貧富の格差、戦争や紛争とテロリズムと呼ばれる行為、難民や移民の増加などによって、明らかになっていると認めざるを得ません。

  現教皇フランシスコは、『現代世界憲章』から受けた洞察を、いろいろな方法で展開させています。結婚と家族にかかわる諸問題に、教会全体で立ち向かうために、2014年10月5日~15日に、臨時のシノドス(世界代表司教会議)を開きました。そして、その会議の結果をさらに深めるため、2015年10月4日~25日に、「教会と現代世界における家族の使命とミッション」というテーマで、通常のシノドスを召集しました。最後に、司教たちの3分の2以上がすべての提案に賛成して、会議の最終文書が発表されました。なお、この会議の決定事項が効力をもつためには、教皇の承認が必要で、それがつい先日(2016年4月8日)、使徒的勧告『Amoris Laetitia(愛の喜び)』として発表されました。

  教皇はまた、多くのメッセージ、特に『福音の喜び』という使徒的勧告の公文書において、今まで実行されていない、経済、政治、戦争と平和などについての『現代世界憲章』の勧めを、さらに深く、総合的に取り扱って、《今》を次のように分析しています。

  機会の不均等は、攻撃、戦争、暴力の温床です。社会や人々の間での排除と格差とが取り除かれない限り、暴力を根絶することは不可能でしょう(『福音の喜び』、59番)。人々の排除と格差が遅かれ早かれ生み出す暴力行為は、軍備拡張競争や鎮圧などによって解決され得ません(同、60番)。

  実際に、少数の人の利益が飛躍的に増大する一方、大多数の人は、この幸福な少数派の得る裕福さからますます遠ざけられています。こうした不均衡は、市場の絶対的な自律性と、金融投機を擁護するイデオロギーに由来します(同、56番)。排他的であり、格差をつくる経済を拒否しなければなりません。この経済は人を殺します(同、53番)。市場と金融投機の絶対的自律性を放棄し、格差を生む構造的原因に敢然と立ち向かうことで、貧しい人々の問題が抜本的に解決されない限りは、世界が抱える問題は何一つ決定的には解決されません。格差は社会悪の根源なのです(同、202番)。
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  それゆえ教皇は、金融制度の改革を要求して、決意と先見性をもってこの課題に向き合うことを政治指導者に勧めています(同、58番)。

  教皇はさらに、信仰と貧しい人々との間にある、切っても切れない密接なきずな、キリスト者が貧しい人々のための神の道具であることなど、福音と経済との関係について力強く述べています(同、48、177、187、194、199番)。

  今年の2月17日は、セミナーの最終回の日でした。毎回と同様、参加者からのコメントあるいは質問などを書いていただきました。そのなかに、次のようなものがありました:「経済と信仰の関係が、非常に深いというお話はとても興味をもちました。」 また、「経済格差と福音について、あまり関連付けて考えたことがなかったので、教皇様がここまで具体的に言及されているということに驚き、考えさせられました。」

  今年度の連続セミナーでは、教皇が昨年発表した、地球環境についての回勅『ラウダト・シ』を中心に、地球の現状とそのケアを熟考したいと思います。環境の問題は、単なるごみの分別、資源の再生利用などだけではなく、教皇が述べているように、人類にとって死活の問題であり、私たちは今こそ自分たちの責任を考え、行動しなければなりません。

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