報告:立憲デモクラシーと平和を考えるソフィアンの集い

(文責) 柳川 朋毅
イエズス会社会司牧センタースタッフ

ともに叡智(ソフィア)を求めて
  2016年1月13日、上智大学四谷キャンパスで、上智大学グローバル・コンサーン研究所主催の「立憲デモクラシーと平和を考えるソフィアンの集い ―立憲デモクラシーと平和の危機に、ともに叡智(ソフィア)を求めて」という集会が開かれました。この集いは、共催の「立憲デモクラシーと平和を考える上智有志の会」の旗揚げ集会でもありました。この集いについて、簡単に報告したいと思います。

187_02  集いは総合人間科学部の澤田稔先生の司会で進められ、外国語学部の東郷公徳先生による趣旨説明、島薗進先生(神学部)と中野晃一先生(国際教養学部)による講演が行われました。また、ゲストとして、立教大学から香山リカ先生が招かれました。その後、職員や卒業生、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)のメンバーでもある現役の学生たちによるリレートークが行われました。最後には全体での質疑応答の時間が設けられ、活発な意見が飛び交いました。

立憲デモクラシーと平和の危機に
  はじめに、東郷公徳先生から、「上智有志の会」設立の経緯とその目的についての説明がなされました。

  この会は、昨年夏の「安全保障関連法案強行採決に抗議し、同法案の廃案を求める上智大学教職員有志」を前身としています。2015年9月に“成立”した安全保障関連法の廃止と、それに先立って2014年7月に解釈改憲によって憲法9条を骨抜きにした閣議決定の撤回を求めて設立されました。

  そうした経緯と目的にもかかわらず、会の名前に「安保」という文言を入れなかったのは、もっと広く長期的な視野に立って、憲法に基づいた民主主義と平和を守ること、そしてそのために学び、考え、行動していくことを目指しているからです。ただし当面の目標としては、この夏の参院選(衆参同時開催の可能性もある)に焦点を当て活動しています。現政権が、早期の明文改憲を企てているからです。

  以下、当日の三つの講演要旨を紹介します。

息苦しさと宗教(島薗進先生発言要旨)
  大きな組織に所属しているときには不自由さを感じるものだが、上智大学にやってきたときには、自由を感じた。カトリック教会は世界的な大組織で、しっかりとした組織や規範体系を保っているにもかかわらず、自由である。

  今の日本社会は、息苦しくなっている。立憲デモクラシーと平和に反する政治や社会のあり方というのは、威圧的な社会。自由にものを考えたり発言したり人が集まることを防ごうとするような人たちが社会を動かそうとしている。それが経済組織や大きな組織の利益に繋がっている。

  ジョージ・オーウェルは『1984年』という小説の中で、人々を管理し、監視し、人の考え方まで支配する未来社会を描いた。組織の中にいると圧力を感じるが、組織の外では自由を感じる。その代表であるお年寄りやSEALDsや女性は、新しい可能性を開いている。

  声明文には、上智大学の「キリスト教精神」とある。自分はキリスト教徒でも仏教徒でもないが、宗教学者として、人権を考える上で、宗教はとても大切だと思う。今の日本の抑圧的な方向性は、国家神道の復興だとみている。国体を掲げて、権威主義的な神聖国家を築き、戦前のあり方に近づこうとしている。それが、秩序を維持するには都合がいいと考えているからだ。

  人権とは、一人ひとりの命が大切にされるということ。一人ひとりが自分でものを考え、行動するということ。そういったことが私たちに問われている。過去から受け継いできたものを、どう未来に引き継いでいくか。大学のみならず、市民生活で共に行っていこう。

真理を探究する者として(中野晃一先生発言要旨)
  16年前に上智に就職し、最近自分もようやくソフィアンだと思ってきた。なぜソフィアンとして、立憲主義や民主主義を守れという声を上げるのか。SEALDsを含む学生たちや大学の教員が、あちこちで声を上げているのか。学問をやっている、教育に携わっている者として、見過ごすことができない思いが強い。学問とは、エラそうな言い方をすれば真理を探究すること。出来るだけ真実に近づきたいと歩んでいくこと。

  国家権力を使って真実を曲げ、白いものを黒いと言い始めたら、何も通じなくなる。戦後、集団的自衛権は憲法が許さないという合意があったものが、政府のご都合で許されるのなら、もう何でもありになる。

  今回は、保守的な人や改憲派の小林節さんまでもがおかしいと言っている。護憲vs改憲という闘いではなく、立憲vs反立憲、あるいは立憲vs“壊”憲という事態になった。真理を知りたいと願っている人間として、基本的ルールを壊し、言葉を操作するといった行為は許せない。広い意味での文明の問題であり、大学人として、学問に携わる者として、こうした野蛮行為に対しては抗い続けるしかない。

  上智の中で神父さんやカトリック教会関係者との付き合いで学んだことは、上智では人の尊厳を根幹において教育や研究をしているということ。教員、職員、学生、卒業生、皆がそれを了解している。すべての人の「人としての尊厳」が守られるような社会に貢献することを目指して、叡智が探究されている。大学や宗教の違いを超えて、同じ思いの人は多くいるだろう。

  国家権力がここまで暴走し、「屈服しろ。服従しろ。俺が黒というから黒なんだ」と言うのに対して黙って従うのか、「おかしい」と勇気を出して言うのかが問われている。日本社会という政治をタブー視する社会で声を出すのは正直とても難しいが、これは政治の問題ではなく、政治の土俵の問題。政治の前提として共有しているルールを壊し始めたから声を上げている。今声を上げなくて、いつ声を上げるのか。

  平和がなぜ大事なのか。戦争ほど、人間の尊厳を壊すものはないからだ。戦争は組織的に、総括的に、人間性を破壊する。それは殺される側だけでなく、殺す側の人格も。日本をこれから、人を殺すことのできる人間を作っていく社会にしていくわけにはいかない。

Do the Right Thing(香山リカ先生発言要旨)
  昨年8月29日に、「私たちはなぜ安保法案に反対するのか? ―立教・上智有志からの発信」という集会が、都内の聖公会の教会で開かれた。その繋がりで今回、上智の集会に立教からのゲストとして呼ばれた。

  先日行われた韓国人へのヘイトデモに対して、“カウンター”を行った。そのときに口汚い言葉を発したことによって、現在“炎上中”で、反ヘイトの人たちからも、もっと言い方に気を付けるようにお叱りを受けた。私のしているのはガラの悪い悪口雑言で、下品だと思われても仕方がない。けれども相手が行っているのは、自分では変えられない事柄をもつマイノリティーに対して差別発言をするヘイトスピーチで、「どっちもどっち」ではない。

  学問の世界では、「相対化」とか「対象化」といって、「距離を置いて考えなさい」、「主観的にではなく客観視して比較調査して論文を書きなさい」と学生相手にさんざん言ってきた。自分自身にも、そういう姿勢が身に付きすぎてしまった。

  ヘイトデモの現場に直面し、実際にマイノリティーの人々の生存の危機を目の当たりにすると、もちろん精神医学的な興味から見ることもあるが、彼らの発言があまりにひどすぎて、そんな悠長なことを言っていられない。とにかく相手の攻撃を止めないといけないから、こちらも声を荒げて、「やめろ!帰れ!口を閉ざせ!」と言う。攻撃対象が自分へと変わるように扇動することで、ヘイトスピーチは止む。自分はマジョリティーなので、ヘイトスピーチには当たらない。

  その場にいたら、悪いことは叱らないといけない。今の状態は、物事を相対化して対象化して、客観視してきた自分へのつけでもあると思う。言論人、大学人の端くれとして反省している。

  もう一点、世代としての反省も感じている。私は1960年生まれで、80年代は大学生活を送っていた。脱構築、ポストモダン、ネオアカデミズムの時代。「すべては浮遊する記号(シニフィアン)である」、「すべては等価なんだ」という言説の時代。ある種の楽天的な、価値相対主義的な時代。白黒つけるとか、どれが間違っていてどれが正しいと判定するのはかっこ悪いという意識があった。高みの見物を決めこみ、傍観者主義や冷笑主義といった態度が身に付きすぎた。

  言論人、大学人としては、距離を置いて研究するという姿勢を手放してはいけないが、今ここで起きていることに関しては、「これは間違っているんじゃないか」と言うべきことがあるのではないか。ヘイトスピーチは、何があっても間違っている。時代が変わろうと、総理が変わろうとも、いけないこと。同じように戦争も、たとえ時代が変わってもいけないこと。どっちもどっちと言っている場合ではない。今戦争が起きようとしているときには、身を挺して止めなければいけないことがある。原発問題もそうだと思っている。

  「いろいろあるが難しい問題だ」みたいな言い方は相対主義者の悪い癖で、安保、ヘイトスピーチ、原発に関しては、悪いと私は思っている。運動の場においては、間違っているものは間違っていると、はっきりNOと言おうと思っている。「何が正義かはわからない」だとか、「いずれ歴史が証明することだから」というような、冷めた態度ではいられない。

  今の右ブレは、不可逆的に、右にふり切れて、取り返しがつかないことになりかねない。悠長なことを言っていられない。個人的に、後悔している。今遠慮していたら、もう間に合わないかもしれない。

  今年の箱根駅伝では、同じキリスト教系大学の青山学院大学が優勝した。上智も立教も、箱根駅伝には出られなかったけれど、私たちは平和のタスキを繋いでいこう。立教でも1月21日から、「立教から平和を発信する」という連続講座を始める。

  『Do the Right Thing』という、人種差別への抵抗をかっこよく描いた、スパイク・リーの映画(1989年)を最近気に入っている。自分はright thing(正しいこと)をしているかを自問する。一緒に、自分たちの行っていることは正しいと確認し合って、進んでいこう。
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 ※「立憲デモクラシーと平和を考える上智有志の会による声明」の全文は、【こちら】から読むことができます。
   声明への賛同人も募集しております。

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