済州島体験記

山内 豊 SJ(神学生)

  済州島の空港に降り立ち、車で江汀(カンジョン)村の聖フランシスコ平和センターに向かった。それは済州島や沖縄などの島々が連帯し「非武装平和の島」を構築していくための会議であるカンジョン平和カンファレンスに参加するため、そしてイエズス会日韓社会使徒職の協働に向けたミーティングに参加するためである。空港周辺の都市部を通り過ぎると、畑が広がるのどかな景色が見えてくる。平和に見えるこの島で、67年前に凄惨な事件が起こった。四・三事件である。

  1945年、朝鮮半島は日本の植民地支配から解放されたが、北半分にソビエト軍が、南半分にアメリカ軍が進駐し、それぞれが新しい政府の樹立を目指した。南北分断の動きの中で、それに反対する運動も起こり始める。その運動を共産主義的なものとみたアメリカ軍は厳しく取り締まった。それに反発した分断反対派の人々が、1948年4月3日に済州島において武装蜂起することになる。ここから四・三事件が起こった。アメリカ軍は済州島をレッドアイランドと名付け、韓国本土から鎮圧のために陸軍を派遣し、1948年8月15日の大韓民国成立後も、李承晩大統領は引き続き鎮圧作戦を行った。そして作戦が終わる1954年までに、済州島民約28万人のうちの一般人を含む約3万人が虐殺されたのである。

  その事件を車窓に映しながらしばらく行くと、聖フランシスコ平和センターがあるカンジョン村に到着した。カンジョン村は、今まさに韓国海軍が基地を建設している村である。韓国軍の基地はアメリカ軍が使用することができる。韓国軍の基地が建つということは、アメリカ軍も来るということを意味するのである。車から降り、あたりを見回すと、黄色い旗が村のあちらこちらに立っているのが見える。話を聞くと、カンジョン村に韓国海軍の基地が建つことに反対する家は意思表明として黄色い旗を掲げているのだという。

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↑建設中の海軍基地を、黄色い旗越しに眺める

  第2回カンジョン平和カンファレンスが始まった。このカンファレンスの目的は、済州島や沖縄などの島々を「非武装平和の島」にすることにある。済州島、韓国本土、沖縄、京都、東京などから多くの活動家、司祭、修道者たちが集まった。そこで専門家や活動家の話を聞き、小グループに分かれてディスカッションが行われた。「非武装平和の島」活動を東アジアの島々に広げていくことなど様々な案が出され、島々の連帯の可能性を模索した。

  ここで私が感じたことは、カンジョン村における基地問題に関して済州島内で基地反対の連帯が出来上がってなく、運動を国外に展開していくことよりも、まず済州島内に反基地運動を浸透させていくことが差し迫った課題ではないかということである。聞いた話によれば、最近済州島で行われた知事選挙では基地建設推進派の知事が当選したという。それは済州島の多くの人が基地問題に対して基地建設賛成か無関心、あるいは基地問題が争点化できなかったことを意味するのではないだろうかと思う。まずは済州島内で基地反対のコンセンサスを得る必要があるのではないだろうか。

  そして印象に残った出来事はもう一つある。私が聖フランシスコ平和センターの近くの店で買い物をしようと店に入ろうとした時のことである。基地反対の活動をしている活動家の人々から「この店で買い物はしない方がいい」と勧められた。彼女たちは空を指さし「この家には韓国の国旗が掲げてある。韓国国旗を掲げている家は基地賛成派の家だからここで買い物をすべきではない」と言った。ここで反対派の人々は賛成派の人たちに対して不買運動をしていることを知った。のちに聞いた話によれば、カンジョン村では基地反対派と賛成派の間では分裂があるのだという。基地建設は、住民の間に分裂をもたらしたのである。

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↑韓国国旗を掲げる商店

  他にも分裂を感じる場面が多々あった。基地建設のためのトラックが出入りする門の前、反対派は座り込みをしているのだが、大きなクラクションを鳴らして通り過ぎていく車や、エンジンをけたたましくふかし威嚇しながら通り過ぎていく車がある。一方、この村にはレストランが一つしかないと言われていたのだが、あたりを歩いてみるとレストランはいくつかある。そのことについて尋ねてみると、基地反対のレストランは一軒だということであった。

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↑毎日、ゲート前では座り込みのミサが捧げられる

  イエスは「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」(マタイ10章34節)とおっしゃった。福音的価値はこの世の価値と摩擦を起こすことがあるとイエスはおっしゃろうとしているのだと思う。カンジョン村に起きている分裂、基地を作ろうとする勢力とそれを阻止しようとする勢力との間の闘い、これらは福音を地上にもたらそうとするとき必ず起こる。一方で、「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」(ルカ6章27節)とイエスはおっしゃる。憎しみをあおる形が社会変革のセオリーとされているが、私たちキリスト者のやり方はそうであってはならない。敵対する人を愛することによって、平和の深い味わいによって、敵対する人々をも包み込んでいかなければならないと思う。

  日韓社会使徒職の協働に向けたミーティングは、第2回カンジョン平和カンファレンスの終了後に行われた。これは日韓の社会使徒職の協働の第一歩となる画期的なものであった。それぞれが協働の難しさを感じながらも、どのようなことにおいて協働できるかを模索した。まずはお互いを知り合うこと、来年もこのようなミーティングを行うことで合意した。これからの日韓の社会使徒職は、「頭」の部分で連携を始め、「足」の部分に拡がっていくであろう。例えばセミナーを合同で開催することなどを通して連携を深め、その後「足」の部分、すなわち実際の活動を協働で行っていくことになるのだと思う。喜びと希望のうちにこのミーティングを閉会した。

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↑日韓社会使徒職ミーティングの参加者

  カンジョン村にある聖フランシスコ平和センターとイエズス会の家は最近建てられたものである。これは基地問題に苦しむカンジョン村の人々にとって、一つの連帯の証になるのだと思う。ここにとどまり共に歩もうとするこの決意は、カンジョン村の基地問題に苦しむ人々にとって、大きな勇気を与えることであろう。カンジョン村が一つの平和のセンターとなり、東アジアの平和を希求する島々と連帯して平和活動を広めていってほしいと思う。

185_08↑聖フランシスコ平和センター

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