東ティモールと平和

 村山 兵衛 SJ(神学生)

  インドネシア占領時代(1975~2002)、東ティモールのカトリック教会は、同国の解放自治を国際社会に訴えかける重要な役割を果たしていました。ノーベル賞受賞者のカルロス・F・X・ベロ司教の提案で1990年代に始まった「クルス・ジョヴェン」(青年の十字架)という十字架を運ぶ信徒巡礼団は、東ティモールの解放と平和を切望してきた民衆の思いを携えて、当時の教皇聖ヨハネ・パウロ2世が提唱した「巡礼の聖母」像とともに、ティモール全土を毎年巡礼しています。さすがのインドネシア軍も彼らの巡礼には攻撃を控えたといいます。クルス・ジョヴェンが訪れると、村中の人が沿道に出て見物します。
  今年2015年は東ティモール福音宣教500周年の節目です。とりわけ独立後の若者の信仰を育てる意向とともに、クルス・ジョヴェンは今年も、平和と信仰の促進という教会の願いを人々に訴えて全国を巡回しています――私たちが信仰に基礎づけられた平和の真価を忘れないために。
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  暴力の排除は平和と等価ではありません。生き残るためにエゴイストになっている自己の殻を破って、与えることによって豊かになる喜びの価値に目覚め、そばにいる他者の貧しさと苦しみに対する背負いきれない責任を分かち合い続けようと決断するとき、平和は不滅の意義を持ち始めます。
  この世界が提供する平和は、敵対する利害や思想や暴力を排除して自己に満足している諸個人の全体性を形づくるだけです。一方、キリストの平和は、忘却と死のうちに葬られる罪びとをゆるし、認め、救うことによって開始しました。平和の種をまく親切な言葉、笑顔や仕草といった単純な実践が暴力、搾取、自己中心の論理との関係を絶ちます(教皇フランシスコ回勅『ラウダート・シ』230番参照)。人間の多様性が生む葛藤を否定も無視もせずに、平和の挨拶を交わし続けるという、エゴイズムの重力に逆らうこの創造的なコミットメントこそ、東ティモールでいまの自分に与えられている課題だと感じます。

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