「社会分析」入門 ~共通の優先課題への重点的取り組み~

安藤 勇 SJ
イエズス会社会司牧センタースタッフ

  私たちが普段、ある問題をどのように見ているかによって、それに対してどのように応答するかが決まります。近頃、際限なく氾濫する情報の中から、正しい情報を慎重に選び取るということは、私たちを悩ます頭痛の種です。
  この記事を読めば、個人的選択よりもむしろ、集団的選択によってどのような影響が引き起こされるのかが考察しやすくなるでしょう。この記事では、社会問題や司牧上の問題に関して、重要な決断をしなければならないときの「関係」について扱います。それが他の様々なプログラムにとっても、役立つものであるよう望んでいます。
  社会分析には数多くの種類がありますが、いずれも客観的データと共通の考察を必要とします。一般に認められた基準に基づき、変化を目指す方向性と傾向を伴います。それが実行に移されるためには、具体的なプログラムを用意する必要があるでしょう。刷新の可能性を保証するために、継続的なチェック体制も重要です。
  日本における平和のための運動としては、原子力エネルギーへの反対運動や、日本の「平和」憲法を守り、憲法9条を変えないための取り組み、外国人移住者や難民の公式認定を支援する運動、ホームレスの人々に仕事と安全な暮らしを提供する運動や、環境保護運動などが考えられます。
  具体例をいくつか挙げましょう。たとえば、教皇フランシスコは、教会は扉を開き、あらゆるところに福音をもたらすため、外へと出向いていかなければならないと繰り返し呼びかけます。また彼は、教会が貧しい人々と関わり、貧しい人々と共に働くように要求します。「たえず識別を行いながら、教会は、自己の習慣の中に福音の核心とは直接つながらないものを見いだすことがあります。歴史の中でしっかり根づいたものであっても、今日では、かつてと同じようには解釈されず、メッセージが適切に受け取られないことが頻繁にあります。それらの習慣は美しいかもしれませんが、今となっては福音の伝達において同様の役目を果たしてはいません。恐れずにこのような習慣を見直していきましょう」(『福音の喜び』43番)。

社会分析は役に立つのか?
  確かに、社会分析によって、すべての問題が簡単に解決できるわけではありません。キリスト教的アプローチを重視する姿勢が、共通の考察を支えます。それは、客観的データに基づき、自由に、あらゆる先入観を打ち壊すことができ、必要に応じていつでも変化することができます。世俗的であろうと宗教的であろうと、圧力を受けることはありません。「学問的」な遊びではなく、「司牧的・社会的」な活動を目指します。
  以下の段階では、司牧的アプローチが考慮されています。

    ◆経験は、個人的なものであれ公のものであれ、地域の現実への知識を深めます。人々の感情とすべての集団からは、何も排除されず、すべてが含まれなければなりません。
    ◆分析のプロセスは、経験、原因、行為者の相互関係を調べることから始まります。
    ◆次の段階では、聖書と教会の教えを参照します。たとえば、社会問題に関する回勅によって、新たな問題、提案、解答が示されるでしょう。
    ◆活動と変化のための具体的な戦略プログラムを設定します。いつ、どこで、誰が、どのようにそれを実行するのでしょうか。ここから、さらなる洞察と新たな経験、成長し続ける開かれたプロセスが引き起こされます。

  イエスは群衆に言いました。「あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに、『にわか雨になる』と言う。実際そのとおりになる。また、南風が吹いているのを見ると、『暑くなる』と言う。事実そうなる。偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか」(ルカ12:54~56)。
  教皇ヨハネ23世は、回勅『マーテル・エト・マジストラ』(1961年)の中で、「見る・判断する・実行する」という分析方法を示しました。この三段階の方法は、JOC(カトリック青年労働者連盟)の創立者であるジョゼフ・カルデン枢機卿が用いていた方法です。一方、教皇パウロ6世は、1981年の『オクトジェジマ・アドヴェニエンス』で、次のように活動を呼びかけました。「自国に固有な状況を客観的に分析し、それに福音の不変のみ言葉の光を当て、教会の社会教説から考察のための原則、判断のための基準、および行動のための指針を引き出すことは、キリスト者共同体の務めです」(4番)。
  1975年に開かれたイエズス会の第32総会では、イエズス会の使命を、「信仰への奉仕と正義の促進」を統合するアプローチとして説明しました。その使命を遂行する上で、社会・経済状況や政治状況を理解するために、懸命に努力しなければなりません(第4教令、「私たちの今日の使命」44番)。分析への呼びかけは、次のような質問で表されています。「私たちは、どこで暮らすのですか?どこで働くのですか?どうやって?誰と?イデオロギーと権力に対して、私たちは実際にどのように慣れあい、依存し、妥協し、取り組んでいるのでしょうか?」(同74番)。

社会分析をどう定義するか
  社会分析は、様々な次元から現実を探ります。それは単独の問題だけでなく、緊迫した政策や体制も扱います。構造的分析だけでなく、歴史的分析をも考慮することが重要です。社会分析には同時に、限界もあります。医学用語でいえば、社会分析は「診断」であって、「治療」ではないのです。しかしながら、客観的データに基づく診断は、適切な治療と治癒のために不可欠です。
  「専門家」を活用することができます。彼らは現実を認識し、問題を解決する具体的な行動をしなければならない人々を訓練できるからです。社会分析は「中立」なアプローチではありません。私たちは皆、自分の価値観や先入観、傾向を有しているからです。状況やアプローチは、それぞれ異なっています。複雑な状況、国際的な視点と地域の視点、変わろうとしない強固な態度、新しい方法への警戒などのせいで、困難と論争が生じる可能性があります。一種の回心が必要です。私たちには、自分たちの方法や体制こそが優れていると信じ込み、変化(特に実質的な変化)を望まない傾向があるからです。

【参考文献】
  「社会分析」について、より詳しく知りたい方は、
    『社会分析―社会の現状を福音の光に当てて―』
      ジョー・ホランド/ピーター・ヘンリオット 共著
      石脇慶総/山田経三 共訳
      日本カトリック正義と平和協議会 発行(1984年)
  をお読みください。

【第39回 日本カトリック「正義と平和」全国集会】
  2015年9月21~23日に、「正義と平和」全国集会が東京で開催されます。22日(火)の午前には、イエズス会社会司牧センターが、「社会分析」に関する分科会(第5分科会)を担当します。
  詳細やお申込み方法は、大会の公式ホームページをご覧ください。 http://www.tokyotaikai2015.info/
183_05

Comments are closed.