地雷に関する日本政府の政策

<地雷に対する政策>

日本は1997年12月3日に対人地雷全面禁止条約(オタワ条約)に署名した。小渕外相はその日の調印式における演説の中で日本政府は1998年から向こう5年間にわたって100億円を地雷除去および被害者支援に贈与することを表明した。この条約を実施するための国内法と条約の批准は、10ヶ月後の1998年9月30日に国会で承認され、日本は45ヶ国目の批准国となった。

地雷問題についての日本政府の現実的な取り組みは橋本前首相が、1996年のリヨンサミットで対人地雷に関する国際会議を日本が主催することを述べた時から始まった。橋本氏は国連の地雷除去活動のため国際的な支援を目的とした国際会議を東京で開催する意思を示し、さらに対人地雷を国際的に全面禁止する努力を積極的に支援していくことに決定したと表明した。これを受けて日本政府は1997年3月に対人地雷に関する東京会議を開いた。

日本は、1996年の国連総会でも世界的な対人地雷の禁止、および地雷を禁止する国際的同意を各国政府が追求するという国連決議を支持する立場を繰り返し示した。しかし、このように立場を公表したにもかかわらず、地雷禁止条約への支持を示さなかった。日本がオタワ条約の最終審議を行うオスロでの交渉に参加することを決定したのは1997年9月の会議開始直前であった。

日本政府の立場が本当に変わったのは、1997年の秋、小渕氏が外務大臣になったその日に日本の政策を見直すことを決定してからのことであった。小渕氏は「カンボジアの地雷除去活動に協力している一方で、日本がオタワ条約に反対しているのは意味がない」と主張した。関連省庁との議論の後、日本政府は11月27日に条約に調印することを決定し、1997年12月3日に小渕外相自身がオタワへ行き調印式に出席した。

防衛庁は対人地雷の代替兵器を開発することに既に研究を始めていた。JCBLが1998年6月15日に在日カナダ大使館と共催で行ったシンポジウムでは、批准に関して最大の問題は在日アメリカ軍の保有する対人地雷をどう処理するのかということにある、と外務省の担当官が述べた。とくに

  1. 日本国内の米軍基地にある対人地雷を除去することは必要なのか
  2. 在日米軍は日本国内での軍事行動で対人地雷を使用することを許されるのか
  3. 日本国内の米軍基地から朝鮮半島に、地雷を輸送することを日本は許されるのか

ということである。続けて彼は1999年1月開催の通常国会に批准の法案を提出できるかどうか慎重に考えていると述べた。しかし、小渕氏は1998年7月に首相になり、日本の地雷政策を再び取り上げた。彼は臨時国会での所信表明演説で以下のように述べた。「我々は条約発効ができるだけ早くなされるように批准への努力を大いにすべきである」。小渕氏は、条約を発効させる先行40ヶ国の中に日本が入るよう、条約批准になにかと後ろ向きな政府官僚に圧力をかけていた。

小渕新内閣は当初に予想されていた1999年1月の通常国会を待たずに、1998年夏の臨時国会に「国内法の制定」と「条約批准」の二つの議案を提出した。JCBLメンバーは1998年9月11日に小渕首相に面会し、地雷禁止条約の早期批准を要望する20万人の署名を手渡し、一般市民の間に湧き起こった地雷の危機に関する関心の深さを示した。

「対人地雷の製造の禁止および所持の規制などに関する法律」(平成十年法律第116号)と「条約批准」の法案は1998年9月30日に国会を通過し、日本政府は同日国連に批准書を寄託した。

<日本国内の米軍地雷>

日本の米軍基地内に貯蔵されている対人地雷に関して、外務省の担当官は以下の様に述べた。「条約の下で締約国としての義務は自国の管轄の及ぶ範囲内で条約で禁止されている活動を防止、抑止することである。よって、在日米軍が対人地雷を貯蔵、保有することは引き続き可能である。しかし、条約上の義務は別として、日本は国防目的に地雷を使用するのを止めるということから、政府は在日米軍に日本領土内での対人地雷を使用、開発、生産するのを止めることをお願いした。」 日本にある地雷を米軍が輸送することについて、「米軍基地内に貯蔵、保有されている対人地雷に関してはそれが民間のものや国防のものであるかにかかわらず、条約により日本人は関わってはならない」としている。 日米の合同の軍事訓練については外務委員会で政務次官が「米軍と共同か自衛隊単独のものであるかに関わらず、自衛隊が対人地雷使用目的の訓練をすることは認められない」と答弁した。米軍による対人地雷輸送に際しての日本領海の通過も国会で繰り返し議論が行われた。政務次官は「在日米軍の対人地雷保有を認める以上、日本の領域の通過について事前通告を要請することは必要ないということで、事前通告を求める考えはない」と答弁した。

【生産】
防衛庁は1996年度まで対人地雷購入を継続した(予算:6億円)。1997年度もまた6億8000万の対人地雷購入予算をもとめていたが、オタワ条約に署名したのを受けてとり止めた。この予算は代わりに指向性散弾の購入用として配分されることになった。 石川製作所が唯一地雷を組み立てる民間業者であるのは周知のとおりである。ほかの企業が地雷の部品を製造していることも知られているがそれ以上の細部に関する情報は入手されていない。対人地雷生産設備の転換や使用不能にするの計画の状況は明確でない。
日本の防衛庁が対人地雷に代わる代替兵器として現在開発中の「対人障害システム」はセンサーとリモコンを組み合わせ、市民が無差別に狙われないよう指令によって爆発するようになっている。防衛庁はこのシステムの開発用の予算配分を1997年度から求めており、1997年度、1998年度には開発用に夫々2000万円、さらに1999年度にはテストモデル購入に6億円を予算要求中である。国会の審議で政府は以下のように答弁した。「政府としては1997年度から予算要求を始め今も要求中である。1999年度予算は、テストモデルを購入して2年間の機能テストをするためのものである。」防衛庁は新しい代替兵器(対人障害システム)が開発されるまで「指向性散弾」を過渡的代替兵器として使用する。政府は「新代替兵器が完成するまでに時間がかかるので、その間「指向性散弾地雷」を遠隔からの人間の操作のみで爆発させる「指向性散弾」(地雷ではない)に改造してそのの機能を確かめる。新代替兵器(対人障害システム)が完成するまでの間、少量の「指向性散弾」を調達する」と言明した。 防衛庁は既に全ての手持ちの「指向性散弾地雷」を「指向性散弾」に転換させ、そして前述の1997年度の6億8000万円に続けて、1998年度には14億円、1999年度には4億円を新規調達のために予算獲得しようとしている。しかし調達される武器の数については明らかにされていない。
【移譲】
日本は対人地雷を輸出入していない。これは武器輸出三原則で禁止されているものなのである。信管や炸薬といった部品の輸出は外為法で禁止されている。【保有地雷とその廃棄費用】
自衛隊が保有する対人地雷の数は1998年末の時点で100万401個にも及ぶ。防衛庁は段階的に保有地雷を[廃棄]すると発表をしている。第一回(平成11年度)は22万個を廃棄するための費用4億2000万円に加え、輸送費が2700万円で廃棄費用の合計は4億4700万円である。よって地雷1個の平均の廃棄費用は約2014円である。日本政府は残りの地雷の廃棄の為に平成12年度、13年度に夫々7億円、即ち保有地雷100万個の破棄に総額20億円弱を想定している。これらの数字は99年9月の国会の審議で明らかになった。

(註:日本政府が1999年8月27日に国連あてに提出した報告書では、廃棄方法が「爆破。又は 分解して 焼却、切断、或いは 粉砕」という記述となった。これは、「何故、爆破しないのか?」という国会議員およびJCBLの問題提起がきっかけとなって、周囲に危害を与えないで「ドーム内爆破」または「水中爆破」を行える民間業者を防衛庁が探し当てたからではなかろうか? 他方、国連への報告書の書式に地雷のタイプ別の廃棄計画を記述する項目がなかったので、平成11年度契約で廃棄される総数のみが報告され、タイプ別の数量は報告されなかった。JCBLが同じ日にICBLあてに提出した報告書にはタイプ別廃棄数量を記載してある。)

【使用】
日本は1954年に自衛隊ができて以来対人地雷を使用していない。しかし、地雷は日本の長い海岸線を守るのには必要だという立場を政府はとり続けてきた。地雷は純粋に防衛のための武器であると考えられ、それは専守防従政策にちょうど見合っているものである。【地雷対策のための資金提供】 日本は1997年末までに、地雷対策のプログラムに対し約3000万ドルを提供した。地雷除去活動にとって特筆すべき貢献は、アフガニスタン(UNOCHA)1700万ドル、カンボジア(CMAC)500万ドル、元ユーゴスラビア300万ドル、国連の信託基金400万ドル、米州機構200万ドルである。 対人地雷犠牲者支援プログラムには、1994~1996年の「難民を助ける会」による職業訓練への支援のほか、1992年のカンボジアの義肢装具製造設備の設置施設設立や1993年のリハビリセンター設立に対する支援も含まれている。

政府はオタワ条約署名後さらに支援を促進するような計画をたちあげた。1997年12月3日、小渕外相はオタワ条約調印式に出席し、地雷除去および地雷犠牲者支援のために98年1月より5年間にわたって100億円を提供するプログラムを発表した。

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