ごあいさつ

吉羽 弘明 SJ (ブラザー)

  この春、社会司牧センターのスタッフに加わったイエズス会ブラザーの吉羽です。未だにわからないことばかりで右往左往していますが、早く慣れたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
  私はイエズス会に入会後、これまで主に社会福祉に関係する分野とのかかわりを持ってきました。この社会司牧通信でも、北海道・浦河町にある精神障害者の地域活動拠点「べてるの家」について、また現在聖イグナチオ教会で活動している聖イグナチオ生活相談室についてなどをレポートする機会がありました。振り返ると、今の私がこのようなことにこだわっているのは、これまでの経験が大きな影響を与えているのかなと考えることがあります。
  私はバブル世代で、小さな大学を卒業しましたが、それでも友人には内定を10社も出されたという人がいました。私自身はやっと卒業直前に勤め先を見つけた口なので、あまりバブルの恩恵を受けたという記憶がありませんが、それはともかくまだまだ牧歌的な働き方をしている職場は多かったと思います。私はその後離職を経験し、バブル崩壊もあって再就職先が見つからずに、6年間ほど非正規労働に従事したことがあります。それでもアルバイト先にはまだ正社員がある程度おり、アルバイトが正社員の代わりを果たすことがあまりなく、私のようなフリーターはまだ少なくて勤め先には多少余裕がありました。しかし段々と、「秀でた技能がないと、定職どころか安定した生活すら営むのが困難な社会になるのでは」ということを肌で感じることが多くなっていました。
  先日、日本の生活不安について書かれた本を読んでそれについて語り合っている時に、20代前半の人がこのように言うのです。「この本にある『豊かな社会』って、一体何なのですか。そんなものは今まで経験したことがありません。」この言葉は非

耳を傾け共に時を過ごす (聖イグナチオ生活相談室の外出企画で)

耳を傾け共に時を過ごす
(聖イグナチオ生活相談室の外出企画で)


常に重いものでした。私(たち)にしてみれば、「豊かな社会」とはある程度自明なもので、きちんと働く人の尊厳が守られた社会であるとか、労働以外を楽しむことができる生活があるとか、「普通に生活する」ための収入が一つの仕事で可能であるとか(貧弱な発想でしょうか…)なのですが、彼らはもう生まれた時から縮小社会に入っていて、そんなものはもうどこかに飛ばされてしまっていて、「豊かな社会」とか言われてもピンとこないわけです。それどころか、ひょっとしたら「そんな、今はありもしないことを、昔を振り返りながら気楽なことを言っている」と反発を感じているのかもしれません。
  「今の若者は批判意識がない」とか「社会の価値観にとらわれている」とか批判したところで、彼らが生きていくために社会に「おもねる」のはある程度仕方がないのではないか。むしろ、望まれる社会のモデルを次の世代とともに考察し、イメージしやすいように提示してそれを実践しようとすることが、少し先の時代を歩んでいて、遅かれ早かれ彼らより先にこの世を「引退」する私たち世代の役割なのではないかと思ったのです。
  現在の社会について、「ヤンキー社会」とか「反知性主義」とか評されることがあります。社会学の勉強をしているわけでもないので、それが現代社会への妥当な評価なのかどうかはわかりませんが、ある程度当を得た考え方なのではないかと思っています。
  何かを論じる時に、根拠となるものをいろいろと検討し、時に前の時代を振り返りながら考察・議論して物事を決定していくのではなく、知性やリテラシーをないがしろにした、思い付きあるいは思い込みにも似た考えを根性や常識などによって強化し、判断・決定していることが多いのではないか。だから、存在もしないことを根拠に物事が主張され、最悪の場合はそれが政策になったりします。
  私は、これらでヘイトスピーチのような出来事についての一部を説明できるし、逆に今では説得力を失いつつあるリベラル勢力が、時代の変化によって人々の知性に対する受け止め方も変化しているにもかかわらず、以前と同じような用語や表現方法を用いていることで(主張していることが正しくても)、人々を説得できない、影響力を持たない・持てないことの説明もできる気がします。柔軟さがある知的探究を社会に取り戻すことが必要です。
  私の能力や性格から、センターの先輩方がされてきたような大きなアクションを取ることはできないと思います。しかしこれまで述べてきたようなおもいを胸に、教皇文書や教令でも繰り返し述べられる貧困の構造面を見極めること、とりわけ日本に住む市民に今何が起こっているのかを理論的に分析し、それに基づいて私たちがどちらに向かっていくべきなのかを考える基礎となる研究を、社会司牧センターから発信できればいいなあと考えています。

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