必要があればどこへでも行く 台湾での50年

イエズス会中国管区 HP

taiwan4  第二次世界大戦が終わった時、中国人は8年間にわたる日本人との戦いの後、平和の時代が来るのを楽しみにしていました。日本人に対する彼らの勇敢な抵抗は、世界の賞賛を勝ち得ました。1939年にローマ教皇庁は300年続いた中国人市民の儀式(Chinese civil rites)の禁止令を撤廃し、カトリック信徒が先祖と孔子に尊敬を示す儀式に参加することを許可しました。福音が国全体に自由に広がっていくように思われましたが、その代わり、いっそう過酷な試練の時代に入っていきました。国民党政府は共産主義者によって転覆させられ、1949年に台湾へと退却しました。
  1950年、無神論の共産党政府は、外国人宣教師を追い出しはじめ、一方で、中国人聖職者は、逮捕され、収監されました。最も悲痛な出来事は、上海の徐家匯(Zikawei)にあるカトリック高校の校長だったBeda Chang神父が殉教したことです。養成中の若いイエズス会員の召命を守り、彼らが他の地で勉強を続けられるために、国を離れる難民たちの流出に加わるよう手配しました。1951年、イエズス会宣教師として初めてカリフォルニア出身のEdward Murphy神父が台湾に入国しました。1952年以後、海外から神の栄光のためにブドウ園で働く目的で台湾へ入るイエズス会員の流れが継続的にありました。全部で579人のイエズス会員が20世紀の後半にはこの地に駐在しました。中国人の他にも、ヨーロッパ、北アメリカ、南アメリカ、そしてアジアの多くの国々の会員がいました。この多様化と国際化が今日の中国管区を豊かにしました。
  台湾における最初の宣教師の努力の場所は、新竹と台北でした。そこには、諸言語と様々な国籍と諸文化の混乱がありました。つまり、あらゆる場所から来た外国人、様々ななまりで話す中国本土中からの中国人、ミンナン語やハッカなまりを話す地元の中国人、加えて、日本の支配時代からまだ日本語を話す地元の高齢者たち、さらには、固有の言語をもった台湾原住民たちがいました。このような多様性との遭遇は、地元のコミュニティに加わり、その一員になるために、マテオ・リッチの精神で言語を学び、慣習に適応した新入りのイエズス会員を豊かにしました。
  戦争後の台湾は、多くの大変動を経験していました。イエズス会は福音を説くだけでなく、教育的、医療的、そして社会的な援助で台湾に支援を提供するようになりました。
  1960年代、台湾の状況は次第に落ち着いてきましたが、貧しい人々はまだかなりいました。多くの人々は、都会に仕事、教育あるいはよりよい生活を求めて、田舎を離れました。新しい観念や要求からのカルチャーショックを和らげるために、彼らは指導と教育をとても必要としていました。戦後生まれの子どもたちは、あらゆる階層の人々の中で、重要な社会的地位を占めるまでに成長しました。洗礼を受けている、いないに関わらず、非常にたくさんの人々がイエズス会と関わりを持ちました。彼らは、イエズス会が経営する学校に通い、イエズス会の経営するホステルで厳密かつ愛情のこもった世話を経験し、イエズス会が担当する教育的、社会的、文芸的、芸術的、そして娯楽的な団体や行事に参加し、イエズス会員と生涯の友を作り、厳しい状況の時にはイエズス会が提供する援助で助けられ、イエズス会の運営するクリニックで治療を受け、イエズス会の製作するラジオやTV番組によって楽しみ、啓発され、またスライドショー、ドキュメンタリー、雑誌、書籍、およびイエズス会とその活動または公けの行事参加について継続的な情報の洪水によって影響を受けています。こうして一般にカトリック信徒、特にイエズス会員は、福音の灯を燃やし続けています。つまり、塩であり光であるイエスが全ての人を「彼自身」にひきつけたように、イエズス会員は同じ使命を遂行し、その姿を全ての人は見ることができるのです。
  ここ数年の台湾の豊かさの上昇と、現代の社会的優先度の変化を考慮すると、イエズス会員は洞察を研ぎ澄まし続け、最新の社会動向をつかみ、そして奉仕の範囲を拡大しかつ深めることを常に必要としています。「より」社会のニーズを理解し、「より」効果的な行動の手段を発展させ、「より」効果的に「より」多くの人たちに奉仕するために、イエズス会の進め方は何なのか、ということを追求することは、私たちの責任です。
  司牧活動を通じて、他者への奉仕のために命をかけているイエズス会員は、台湾のあらゆるところで見つけることができます。彼らは、新竹、台南、嘉義そして高雄の都会の小教区で、一般の人のための司牧活動を行い、山岳部では先住民族のために働きます(例えば、Manresa Center of Spirituality、Ignatian Spirituality Center、Cristian Life Communities、Christian Service Community、Marriage Encounters、Apostleship of Prayer等)。また、教育(FuJen Catholic University、St. Ignatius High School、St. Aloysius Industrial School、Tien Education Center等)、マスメディア(Kuangchi Program Service、Kuangchi Culture Group、Renlai Magazine)、インカルチュレーション(Aurora Center、Ricci Institute、Xavier Cultural Center、Tien Culture Foundation)、社会活動(Rerum Novarum Social Service Center、Hsinchu Catholic Social Service Center、知的障がい児のHua Kuang Center、老人の世話、ホスピス、海外からの労働者支援)があり、これに加えて、通常の仕事のほかに、芸術家、作家、講演家、宗教間対話をする人、パフォーマー、あるいは市民的なコミュニティ活動のメンバーである大勢の個人もいます。
台湾にはまだカトリック信徒は多くないかもしれません。しかし、たとえそのイエズス会員が誰であり、何であるのかを知らなかったとしても、イエズス会員を見たことも聞いたことも全くなく、あるいはイエズス会員の言葉や行動から展開したさざなみによって、小さい仕方であれ、彼、彼女の人生に全く影響を受けなかったという非カトリック信徒はほとんどいません。
  台湾は、中国本土での大変動の間も、中国人の文化と自由の松明が燃え続けているとても特別な場所です。現在の台湾の使命は、その中国文化の松明の光が、世界中に広がるすべての中国人コミュニティにおいて輝くのを保証することです。
  50年の今、イエズス会員は台湾で、人々と共に住み、笑い、泣いてきました。私たちが初めて奉仕した人々はみんなとても高齢で、あるいはすでに亡くなりました。しかし、私たちは友を作り、若者と老人双方に奉仕し続けます。私たちがいなくなった後もずっと活動を継続し拡大させるために、私たちが奉仕する人々の中から若者たちが、私たちの会に加わろうと名乗り出てくれることを心から祈っています。

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