書評:『集団的自衛権の深層』 松竹信幸 著 / 平凡社 / 2013年9月

5 安倍政権は、集団的自衛権の行使を禁じる憲法解釈の見直しについて、来年夏に先送りする方針を固めたといいます。本書では、安倍政権がその実現に執念をもやす「集団的自衛権」とは、そもそも一体どんなものなのか、集団的自衛権行使の実例や国際法の解釈を検証しながら、日本国内ではあまり知られていないその実像を浮き彫りにしています。そこで明らかになるのは、実際の集団的自衛権の行使は、侵略のための武力攻撃の口実にしか使われていなかったという事実です。安倍政権はそうした事実には目を向けず、国民に対し「虚構の論理」を駆使して、その必要性を強調しています。虚構の論理の最たるものは、集団的自衛権を行使するのが普通の国であって、それを憲法で禁止する日本は、世界から見ると特殊だ、というものです。しかし、実際に集団的自衛権を行使できたのは、米国や旧ソ連などといった超一級の軍事大国でしかなかったことが暴露されます。安倍政権がそれでも集団的自衛権にこだわる理由を著者は、日本の軍事力の世界への誇示と、米国の軍事政策に対する忠誠を示そうとする、日本政府による日米同盟の維持の自己目的化、の内に見て取ります。
 本書の後半で著者は、日本が世界の平和に貢献するための、集団的自衛権に代わる対案を提示します。自衛隊の平和活動は「他国の人々の命を奪わない」ということを基準として、武力紛争の間に、非武装・丸腰で割って入り、停戦を実現し、監視する役目を果たすことだと述べています。著者は平和のための行動原則とは、「(他国が)侵略されれば助けるし、侵略すれば批判する」ことだと言います。この話を読んだとき、ひとつの連想がよぎりました。「(他者が)いじめられれば助けるし、いじめれば批判する」と。世界の平和秩序の構築の基準が、私たち一人ひとりの集団での人間関係の、当たり前であるべき原則にまで還元されることに、驚きと共に納得がいきました。
(山本啓輔、イエズス会社会司牧センタースタッフ)

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