クリスマス! 真の平和の祭!

光延 一郎 SJ (社会司牧センター長)

168-01-1

 今年の待降節は「特定秘密保護法」の強行的な採決の騒ぎで始まりました。
おかげで私はまたしても、7年前(2006年)の12月と同じように国会前の抗議集会に毎晩通うはめとなりました。あのときは「教育基本法」が改変され、日本の教育の方向が、人格の個性的完成をめざすものから、国家主義的で上意下達的なものに曲げられたのでした。その時の首相も安倍晋三氏でした。
 このたびの強引な「秘密保護法」採決は、今国会で成立した「国家安全保障会議設置(NSC)法」とあわせて、次に予定される「国家安全保障基本法案」の前振りでしょう。その先にあるのは、これまでの憲法解釈を覆して「集団的自衛権」をおおっぴらに行使すること、憲法9条を事実上なし崩しにすることです。つまり、日本国憲法よりも日米軍事同盟が上に置かれる軍事監視国家体制が固められることです。これらの法律により、沖縄をはじめ米軍や自衛隊の基地、原発関連の情報などはますます隠されるでしょうし、やがて日本は米国の戦争に巻き込まれるかもしれません。国民の知る権利が制限されるばかりか、ある日突然、理由も秘されたまま拘束されないともかぎりません。その意味で、今回の「秘密保護法」の強行可決は、日本国憲法の三本柱である「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」をことごとく踏みにじるものだといえましょう。
 しかしながら、急速に高まり拡がったこの法案への反対世論と、国会周辺での市民の抗議行動を見ていると、7年前のようなまったくの敗北という感覚もありません。「3・11」以後の脱原発運動や毎週金曜日の夕方に続けられるデモの経験により、人々はもっと自由に自分の意見を表明し、アッピールできるように成長してきたのだと思います。
 強行採決は、法案の内容同様横暴でしたが、こんな暴力的な政治がこのまま続くとは思えません。市民は確実に怒っています。「安倍晋三は恥を知れ!」「負けないぞ、立ち上がれ!」「安倍政権の終わりの始め、民主主義の始まりの初め!」というコールは、夜空に高く響いていました。
 クリスマス…。暗い夜に、永遠の神は、沈黙の内に、最も無防備でいたいけな裸の赤ん坊の姿で私たちのただ中に入られました。その身を投げ出して天を仰ぐ赤ん坊のイエスの姿は、いかなる形にも閉ざされない可能性そのもの、自由そのもの、永遠の愛に自分全部を任せている姿です。このみどり子のありさまこそ、私たちの希望であり光でしょう。
 私たちの国、また世界中の子どもたちが、幼子イエスとともに安心して眠り、ほほえむことのできる社会となるように、平和の鐘を響かせながら、クリスマスの平和を祈りましょう!

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