福島スタディツアー

山本 啓輔 (イエズス会社会司牧センター)

 私は、2013年5月27日から29日までの3日間、東日本大震災と福島第一原発事故の被災地である福島県南相馬市へ体験学習に行きました。それは被災地の今を見るとともに、かの出来事が、私たちに一体何を問いかけているのか、それに向き合う旅でもありました。
 今回のツアーでの主なプログラムは、原発から20キロ圏内にある被災地、南相馬市小高地区の同慶寺の視察と、同じく浪江町の視察、そして南相馬市鹿島地区にある、仮設住宅での体験ボランティア、及び、仮設住宅に住む方々のための交流の場・眞こころカフェでの被災者との交流などでした。紙面の都合上、全てに触れることはできませんので、ここでは、2日目の浪江町の被災地視察について感じたことを書きたいと思います。
 浪江町は、2013年4月に一部、立ち入りが許可されたばかりで、私たちは手つかずの被災地の状況を見ることができるとのことでした。南相馬市原町区のホテルから車に乗りこんで、私たちは浪江町に向かいました。その道すがら、車の窓から広がる景色を見ていました。一方は、見渡す限りの草原、反対側は山間部が続いています。草原というのは、津波で流されてしまった更地のことで、被災直後はきっと、土砂やがれきが表面を覆っていたのでしょうが、今は草原と化しています。以前そこには農村ののどかな田園風景があったのでしょう。「夏草や 兵どもが 夢の跡」という芭蕉の有名な句が、ふっと思い浮かびました。しかし芭蕉の時代と決定的に違うのは、同じ草原と言ってもそこは放射能で汚染された土地なのだということです。この草原の上で、再び、人間が安心して生活できるようになるには、一体どれ位の時間が必要なのだろうか、そんなことを思いました。そしてその反対側は、山間部が続いていました。山間部の森林には多くの放射性物質が蓄積されており、従ってこれらは必ず除染しなければなりません。しかし実際の山をみると、その広大さに、これらをどうやって除染するのか、一体どれ程の手間がかかるのかと、その困難さを強く感じました。
 車が浪江町に入ると、景色は、一変しました。方々にがれきの山が散在し、津波によって、船や、車が陸地まで流されてきたその状況が、目の前に広がっていました。車を降りて、今度は実際に被災した土地を自分の足で踏みしめました。土砂とがれきが入り混じった地面のじゃりじゃりした感触を覚えています。半壊した小学校の中に入りました。ドアや窓ガラスは、破壊されて、体育館の床もその方々に深い凹みができていました。卒業式の練習をしていたのでしょうか、卒業式の垂れ幕が壇上の上、高いところに垂れ下げられたままでした。
 これらを見たことによって、私は確かに大津波の被害の惨状を実感することができました。しかしそれよりもわたしに響いたのは、放射能汚染のせいで、かの荒廃した地を2年も手つかずの状態で放っておくしかなかったという事実でした。そのことに原発事故というものの非情さを思わないではいられません。浪江町の本格的な復興はこれから始まるのでしょう。
 浪江町の視察及び今回のツアー全体を通して、私は、災害からの復興ということについて考えていました。そのことをこの記事の後半では書いてみたいと思います。
 復興には二つの側面があると思われました。一つは、ふるさと・地域の復興です。それは、除染はもちろんのこと、がれき処理やインフラ整備等、それによって、そこに人が住めるようになることです。そしてもう一つは、人間の復興です。今回の震災と原発事故で、多くの人が、大きな喪失体験をし、心に傷を負ったのだと思います。避難生活が長期化する中、先の見えない不安といら立ちは、ますます被災者の精神状態を悪化させているとのことです。そんな彼らにとって、一番の復興とは、この過酷な現実を、それでもゆるし、受け入れ、再び希望をもって生きていけるようになることではないかと、私には思われました。それが私の思う人間の心の復興です。そしてこの2つの復興は、本来どちらか片方だけが先行しうるものではなく、相互に歩調を合わせつつ進展しながら、全体としての復興というゴールに到達するのだと思います。なぜなら、人間は、社会生活を営む場を得ることによって、はじめて生き生きとなれるし、またふるさと・地域も、人間にその場を提供して、はじめて地域社会として機能しうるからです。その時、人間と環境は、本来あるその有機的なつながりを取り戻すのではないでしょうか。 しかし実際には、地域の復興をしたくても、その地に立ち入ることすらできず、本来、セットになって、進めていかなければならない、地域と人間の復興が分断させられてしまっているのです。そして現実的にはむしろ、どちらの復興をも進めることができない、という事態に陥ってしまっているのではないかと私には思われました。
 このような厳しい状況の中で、拠り所なく我慢を強いられている避難民の方々、そして事故以降、放置され、取り残されている彼らのふるさと・地域、この二つの不幸が現実にあるということを、私たちは、忘れず、ごまかさず、関心を持ち続けていかなければならないのだと思いました。それは隣人であろうとする私たちにとって、最低限の義務ではないかと思われます。

 どうか避難生活の中で苦闘している方々にやさしい慰めがありますように。そして私たちには、一つ一つの現実に向き合う強さと、それを受け入れる柔和さが与えられますように。

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