止まったままの時間 ~福島からの報告~

片柳 弘史 SJ (イエズス会教会使徒職協働推進チーム)

 「参加条件40歳以上の男女」、福島でのボランティア活動の募集要項の冒頭には、長い間この条件が掲げられていました。つまり、福島は放射能で汚染されているので、若者をボランティアとして受け入れることはできないということです。ですが、赤ん坊からお年寄りまで数十万人の人々が現に福島で生活しているという事実を考えるとき、このような制限を設けるのは理不尽ではないかという声があがりました。そうした声を受けて、この春から冒頭の条件は削除され、代わりに次の説明が付されることになりました。

 「放射線の低線量被ばくによる健康被害は絶対に安全または危険とは言えず、万人に通用する安全基準はありません。自己判断、自己責任でのボランティア参加をお願いします。」 (判断材料として、国際協力NGOセンターの資料が付されています。)

 つまり、放射能の危険を冒してまで福島に入るかどうかは、自分で判断するようにということです。この変更を受けて、イエズス会教会使徒職協働推進チーム(JPACT)では、今年5月に各地のイエズス会が担当している小教区や学校から若者たちを募集、ボランティア・ツアーを実施しました。危険を冒しても、いま現に「放射能汚染地帯」と呼ばれる福島の地で生活する赤ん坊、子ども、若者、お父さんお母さんやお年寄りに何が起こっているのか、彼らが何を感じているのかを自分の目で見届けたい、彼らの苦しみに少しでも寄り添いたいと願う若者は多いに違いないと考えたからです。

 まずは、JPACTのスタッフで、今回のボランティアに 同行してくれた山本紀久代さんの詩から。

薄緑の木々、桜色の花、鳥の鳴き声、かすんだ空
のどかな春の景色

でもだれ一人田んぼに人影はなく
よく見ればその田んぼにはいく台もの車が横たわり、
放置され
なんと漁船までがころがっている

第1原発から6㎞のところにある校舎は
2年前まで子どもたちの歓声にあふれていた
今では無残に天井がはがれ、床は落ち
海からの強い風だけがその住人
その風に乗って放射能はどこへ運ばれて いくのだろう

発電所に通じる国道には
おびただしい数の警官が待機し
だれを探しているのか
なにを恐れているのか

ゴーストタウンというものは
広大な大陸だけにゆるされるものと思っていたのに
目の前には打ち捨てられた駅
打ち捨てられた町
駅前の看板がはげかけたペンキで語りかける
「安心して暮らせるやさしいまち」と

この国はどこへ行こうとしているのだろうか
わたしにできることはあるのだろうか
不安ともどかしさの塊りをかかえたまま
わたしはフクシマを離れた

 今回わたしたちはカリタス・ジャパン原町ベースに滞在し、そこから社会福祉協議会を通した灌木伐採、家の片づけなどのボランティア活動に参加しました。その合間に、ベース・スタッフの案内で、原発から10キロ圏内にある浪江町請戸地区を視察することもできました。今年4月の避難指示改編によって「避難指示解除準備区域」に指定され、昼間の出入りが制限つきで許可された地区です。山本さんが書いて下さった詩は、そのときに彼女が目撃した光景を描いたものですが、わたしたち全員が見たこと、感じたことをとても的確に表現してくれていると思います。わたし自身は、「『時間が止まる』とはこういうことなのか」と身を以て実感しました。 次に、今回の参加者の中で最年少、医学部で勉強している学生の杉野健太さんが寄せてくれた感想の一部をご紹介したいと思います。

 「なぜ福島に行ったかというと、福島の現状をこの目でこの体でこの心で確かめたかったからだ。去年のゴールデンウィークには岩手の釜石へ、今年の3月には南三陸と気仙沼に視察に行ったが、福島を訪れるのは初めてであった。
 福島には放射線量が高いために復興が進まず、2年前の3月11日15時38分に津波が来たときそのままの状態で時が止まっている地域があった。この地域を訪れたとき、あまりにも悲惨な状況で言葉を失ってしまった。岩手や宮城では着々と復興が進んでいる地域があるのに、この地域はなぜまだこんな状態なのか。福島の現状をこの身で思い知った瞬間であった。
 しかし、福島ではボランティアの数がどんどん減っているのが現状のようだ。放射線に対する偏見のせいで福島を避けている人がたくさんいると思う。だが、レントゲンを一枚撮るだけで6.9mSv、放射線量が高いと言われている飯舘村は、0.55μSv/h、一日24時間いたとしても、13.2μSvなので、一日ボランティアしたとしても、レントゲンの600分の1程度に過ぎないということではないのか。確かに、どれほど人体に害があるのかは専門家でも意見が分かれているし、私にも分からない。けど、福島には自分の故郷を愛し、そこに戻りたいと思っているのに、ちいさな仮設住宅で暮らすことを余儀無くされている人がたくさんいる。そういう人の苦しみを感じて、少しでも力になりたい!そういった善意と熱意をもった人が全国各地からたくさん集うことを切に願っている。身内を亡くされて、傷ついた方に少しでも生きる希望を持ってもらえるような働きかけをするのもボランティアの役目だと思う。ボランティアにはいろんな形があると思う。一人の力ではどうすることもできないし、少ない人数では時間がものすごくかかる。ボランティアが継続的に長いスパンで何百人何千人何万人と集うことで、福島は必ず復興の兆しが見えてくると信じている。
 現在は、福島に行く前の自分のように、福島の現状を知らない人が多すぎる。自分と同じくらいの年代の若い力が必要とされていると思う。たくさんの人がこの福島の現状を知り、自分も少しでも福島の復興の力になりたいと善意と熱意をもってボランティアに参加してくださり、福島の復興に繋がることを願っている。また、福島に観光に行ってお金を落とすだけでも、福島のためになる。これを読んで下さった方が少しでも福島のことを考えるきっかけになってくれたら幸いだ。」

 医学生らしい使命感に燃えた杉野さん。参加者のうち最も若い彼の口からこれほど前向きな言葉を聞くことができたのは、本当に大きな喜びです。次に、小学校の教員をしている六甲教会信徒、吉村光基さんの感想文です。

 「私は現地での活動を通して、自分自身が福島のことを忘れてしまっていたということを思い知らされた。もちろん、ニュースなどで福島における今の状況をある程度は知っていたが、でもそこで暮らす人たちの思いや気持ちに対して敏感であったかというと、そうでもない。むしろ、東日本大震災後も私が暮らす町は平穏そのもので、私の生活自体何も支障をきたすことなく動いていて、そういう意味で福島のことを私は忘れてしまっていたと思う。
 また、久々に『ボランティアって何のためにやるのか?』なんて考えた。同じ東北でも福島の置かれている状況は他とはまた違う。瓦礫を除去したら住めるわけではない。放射能という目に見えない壁がある。ボランティアに行く人も他より少ないし、風評被害もまだまだある。差別的な発想も。この目に見えない壁、何とかならないかなぁと考え、少し気が重くなりながら帰った。
 私に出来ることの一つは『伝えること』である。私は今、仁川学院小学校で6年生の担任をしている。連休明けに授業の時間を使って子どもたちに話をした。また、学級通信にも福島のことについて書いた。
 保護者の方と話す機会があって、ある保護者は『私も福島のことを忘れていたように思いました。出来る限りの支援がしたいです。』とおっしゃっていた。また、保護者の一人は『今度、主人と福島の方へ旅行に行ってきます。大したことは出来ませんが、観光をして現地でお金を使うことも一つの支援かなと思ったので…。』と、わざわざ電話で伝えて下さった。とても嬉しい話だった。この『伝える』ことが枝葉となって広がりを持てば、何か状況が変わっていくのではないかと思う。」

 自分の目で見、肌で感じてきたことを精力的に伝え、福島の人々と連帯していこうとする吉村さんの積極的な姿勢に感銘を受けます。次に、六甲教会の教会学校で活躍してくれている青年、久保信人さんの感想をご紹介したいと思います。

 「ボランティアの行先を決める前に、はじめに、社協を代表して会長さんがご挨拶されました。『昔から代々続き、文化の町として歩んできた町が、あの日を境に大きく変わりました。皆この町を追われましたが、避難区域の解除等で少しずつではありますがボランティアの方の力をお借りして、この町を何とかしたいと思っています。皆さんが小高地区を救って下さいます。』と熱い思いと感謝の言葉をいただきました。作業は、依頼のあった方のお家に出向いて、家屋と庭の清掃を行いました。作業初日は、午前中だけ作業を行い、原町ベース・スタッフの案内で、福島第1原発に近い海岸や浪江の町まで向かいました。人の立ち入りを制限した区域になるので、警察の検問やガードマンによる通行車両の確認など物々しい雰囲気でした。福島第1原発が見える距離にある小学校に入ってみると、グシャグシャになった教室の黒板に卒業生の残したメッセージが書かれていました。その中でも特に目に留まったのは『必ず復興する!』という文字。変わり果てた地域を何とかしたいという地元社協のスタッフの方、同じ家にもう1度住みたいと願う地元の方、そして、この学校の卒業生のメッセージ。『皆、この町が大好き』という思いを強く感じました。」

 子どもたちを愛してやまない久保さんらしい感想です。わたしも、黒板に書かれた字を見ながら、子どもたちのために祈らずにいられませんでした。
 福島と関わるとき、わたしたちはいくつかの選択肢の中から立場を選ばなければいけません。おおざっぱに言えば、次のような選択肢が考えられるでしょう。

1. 放射能に汚染された福島は、人間の住むべき場所ではないとする立場。その立場から、一日も早い全面避難を政府   に求め、住民にも自主避難を促していくことこそ、本当の福島支援。いわゆる「復興」は100年先の話。
2. 今回の事故による放射能汚染は、人体に影響を与えるレベルではないとする立場。その立場から、政府の基準を満たした地域への住民の帰還、地域の復興を積極的に推進していく。
3. 放射能の影響がどう出るかは分からないけれども、現に人々が福島で暮らしている以上、その人々に寄り添っていくという立場。現地に出かけ、あるいは密接に連絡を取り合い、人々と喜び、悲しみを共にしながら将来を模索していく。

 わたし個人としては、3の道を選びたいと考えていますが、皆さんはどうお考えになるでしょうか。この報告が、皆さん自身の考えを深めるためにお役に立てば幸いです。

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