タイのイエズス会難民サービス(JRS)からの報告

Patcharin Nawichai, JRSメーソト/プロジェクト担当者
Dana MacLean, JRSアジア太平洋報道官

1.地雷を取り除こう
  4月4日は、地雷に関する啓発および地雷除去支援のための国際デーです。そこでは通常、70か国以上の何千という人々が、地雷によって被害を受けた生存者と地域社会のことに思いを馳せ、対人地雷という災いを終わらせるように要求します。
  タイは、地雷禁止条約の5条で計画された期限にしたがって2018年までに全ての地雷を除去したい。
  2001年、タイには地雷に冒されている地域がおよそ2,557km²ありました。タイ地雷除去センター(TMAC)のようなNGO団体による地雷除去が行われて10年後、ノルウェー・ ピープルズ・エイドNorwegian People’s Aid のレベル1の調査によると、除去されるべき疑わしい頑固な危険地域が、現在もおよそ528km²残っているということです。
  チャンタブリー県のポーナムローン地雷生存者ネットワークの指導者、Chusak Saelee氏は次のように言っています、「地雷除去と被害者のために、意識を高め支援を提供することは、とても大切なことです。タイは、過去13年間で意義深い前進をしました。地雷被害生存者の生活の質は著しく改善しましたが、私の友人の何人かは、いまだ専門的なサービスを利用することが極めて困難です。「地雷除去の努力が続き、そのことから被害者たちがより一層の利益を受け取れることを、私たちは本当に希望しています。私はこれ以上、将来に、新しい被害者が出るのを見たくないのです」。
(出典:JRS Asia Pacific Web:タイ、「今日は500km²の地雷の除去を要求する日だ」)

2.工場からの声
2013年1月1日
JRSは、傷つきやすい共同体の暮らしを援助するために、2006年よりメーソトMae Sotで、移民労働者と共に働いている。
2012年12月31日、メーソト ―― タイは何十万というビルマ人移民労働者を受け入れ、その内の10万人以上がメーソトの工場で雇用されています。
  ミャンマー南シャン州のタウンジーTaunggyi出身の1- ローズ*さん(28)は、12歳の時、父親によってメーソトに連れて来られました。13歳の時、ひと月、1,000バーツを稼げる麺店で働くために、ブローカーは彼女をバンコクへ連れて行きました。
  3年後、結婚し、初めての子どもを身ごもった後、ローズさんは移民労働者がバンコクで日々直面している、逮捕される心配から逃れるために、メーソトに戻りました。ローズさんの経験は特別なものではありません。
  ミャンマー東部のピュー町の出身の2- ポエポエさん*(18)は、13歳から縫製工場で働いています。
  休憩や病気休暇なしの長時間労働、お金をためるための苦闘、そして適切な安全基準と労働権の不在といったことが、ローズさんやポエポエさんの体験を特徴づけるものであり、それはタイにいる多くの他の何千という移民労働者にも当てはまることです。

労働条件
  ローズさんは、縫製工場の床と机を掃除していますが、一日あたりの賃料は150バーツ(およそ5ドル)で、毎日10時間以上働いています。労働者には交替時間に遅れた場合、一時間あたり、3時間分の賃金が差し引かれてしまいます。それと同様に、仕事を一日休んだ場合、3日分の支払いがなしになります。
  それにもかかわらず、ローズさんは彼女の仕事があるために感謝しています。
  「いい報酬を受け取れるので、私はここで働くのが好きです」と彼女はJRSメーソトの職員に言いました。しかし彼女は、経済的困難がストレスの不断の原因となっていることを認めています。「子どもたちの教育費を支払うために、私はまだお金が必要なのです。」と彼女は言いました。「私はかつて斡旋業者に4,500バーツ支払って、ジャングルを通って、歩いてバンコクまで連れて行ってもらいました。そこで私はもっと収入のよい仕事を見つけるつもりでしたが、私たちはだまされて、人里離れたところに残されたのです」、失意の思いを目にたたえて、彼女は言いました。
  しかしローズさんは、いまだ工場内で身の危険を感じたことのない幸運な人の一人です。彼女の仕事場はよく管理されているという高い評判を維持しています。
  彼女は次のように主張しました、「床と机を掃除する仕事はたしかに快適な仕事ではないけれども、私は安全でないと感じたことはありません」。
一方、ポエポエさんは別の縫製工場で働いていますが、女性のための仕切られたトイレやシャワー室がないので、寮は無防備だと感じています。肉体的な乱暴を受けたことはないのですが、ポエポエさんはシャワーを浴びる時、しばしば男性に見られるので、安全ではないと感じています。
  加えて、ポエポエさんによると、衣服を仕立てるのに使う古いミシンが危険で、工場の設備はいつも安全だとは限らないといいます。
  「工場長は注意を払ってくれません。しかし私たちはそれらの機械を使うのが本当に怖いのです・・・、新しい作業員は古い機械を使います、なぜなら彼らには選択の余地がないからです」、そう彼女は言いました。

労働権
  2012年、JRSメーソトは、海外イラワジ協会Overseas Irrawaddy Associationによって先導された二つのグループ討議を支援しました。それは、移民労働者のために、労働権について議論するものでした。
  ローズさんは言いました、「私たちの権利は十分に尊重されているとは言えません、私たちは十分な休憩時間さえ与えられていないのですから」。ポエポエさんは一日に10時間以上も、休みもなく縫物をしています。
  彼女は言いました、「私たちには十分な休憩がありません。まったく公平じゃありません」。彼女は別の仕事を見つけたいのですが、両親がその工場に彼女と一緒に滞在しているので、囚われたような気持になっているのです。ポエポエさんは言いました、「私は本当に、もっとよい条件ともっと高い報酬が欲しい・・・、でももし私が今の仕事を辞めたら、両親の滞在する場所はなくなってしまうでしょう」。
  ポエポエさんとローズさんは二人とも、農業をするために、ミャンマーのふるさとに戻る夢は持ち続けています。
  「私はタイで生活したいです。なぜなら、安全だし、稼ぐための方法がたくさんあるからです。でも、現在ミャワデイに住んでいる両親がタウンジーに戻りたいなら、私は一緒に行くでしょう。私たちはまだ農業ができる土地を持っています」とローズさんは言いました。
  「もし私がお金を貯めることができれば、農業をやるために家族を連れてふるさとに戻るでしょう。そこで、私たちは幸せな生活を送るのです」とポエポエさんはため息をつきました。
(出典:JRS Asia Pacific Web:「タイ:工場からの声」メーソト、2012.12.31)
1,2 * 名前は身元を保護するため変えてあります。
(編集:安藤勇 SJ、イエズス会社会司牧センター)

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