沖縄の怒りと日本の将来

光延 一郎(イエズス会社会司牧センター)

オスプレイと日米安保
  「オスプレイ」とは、日本語では海辺に住むタカ科の鳥「ミサゴ」のことだそうである。この鳥は、海上から魚を見つけると、急降下して獲物を捕獲する猛禽類である。それはまさに海兵隊という軍隊の攻撃力を象徴する命名だ。この戦争マシーンは、海兵隊の強襲揚陸艦からヘリモードで飛び立った後、航空機モードに切り替えて速やかに敵地の奥深く侵攻し、目的地に着いたところで再びヘリモードとなって武装兵員を降下させる。そのため低空飛行や夜間訓練が不可欠だが、それは猛烈な騒音と熱風をあたりにまき散らす。オスプレイの能力は、これまでのヘリコプターCH46に比べて、速度は2倍時速520km、航続距離5.6倍3900km、武装兵員の輸送2倍24名、貨物の機内搭載量も3倍約2300kgだそうだ。
  オスプレイは危険だ。25年間もかけて開発されたのだが、その間に墜落事故で30名のいのちが奪われた。2006年以後でも事故は58回繰り返されている。日本の航空法で設備が義務づけられている「オートローテーション(自動回転装置)」がないため、エンジンが緊急停止した時に安全に着陸できないとのことである。しかし日米安保条約による地位協定は、こうした欠陥機の飛行を日本の法律の適用外とする。そしてオスプレイはやがて、沖縄上空ばかりでなく、日本中の空で訓練を開始する。軍用機は、敵のレーダーをかいくぐるために低高度の有視界飛行を原則とするが、それは防災ヘリやドクターヘリ、グライダーにとって脅威であるし、国立・国定公園の豊かな生物自然環境をも脅かす。しかし日本上空では、米軍用機の飛行が最優先だ。日本の空は事実上、米軍に支配されているのである。
  オスプレイ配備は、つまり海兵隊侵攻力の強化である。ところで、海兵隊が米国本土以外に駐留しているのは日本だけである。空母機動部隊が米国本土以外に駐留するのも、横須賀と佐世保を母港とする第7艦隊のみである。すなわち1982年のワインバーガー、1991年のチェイニー両国防長官が明言した通り、沖縄における米軍基地の存在は、米国が自国の権益を守るために西太平洋からインド洋まで地球の半分を見張る戦略的駐留なのである。日本の防衛は付随的であり、多くの日本人が信じ込んでいるのとは裏腹に表看板とはなりえない。ミサイル戦が主流である現代の戦争において、中国や北朝鮮に対する米軍沖縄駐留の地政学的抑止効果というのも疑わしい。
  人口9万人の宜野湾市街のど真ん中(市域の4分の1、周辺には保育園・小中高校・福祉センター・沖縄国際大学など121か所以上の公共施設がある)に陣取る普天間基地の危険性は明白だ。無条件で廃止・返還されるべきだが、いつのまにか返還の見返りとして「辺野古」に基地が移設されるという話になった。しかもそれは「普天間の代替」という名目を大きく超えた企てである。計画によれば「燃料桟橋」「弾薬搭載エリア」なども建設されるが、それは珊瑚礁の美しい浜辺を厚さ10mの土砂で埋め立て、200m級の埠頭に強襲揚陸艦が入港できるほど巨大な港をもつくることである。すなわちこれは、敵地への迅速な殴り込みという海兵隊の任務機能を大幅に向上させる最前線基地の新設なのである。

沖縄の怒りと犠牲のシステム
  この新基地は、それが建設されれば、もちろん今後何十年間にもわたって使用され続けるだろう。戦後67年間も一方的に押しつけられてきた基地の悩みが永久固定化されるわけである。沖縄の人々が怒っているのはまずこの点なのだろう。
  1945年の沖縄地上戦で住民の4人に一人が犠牲となり、戦後の27年間は米軍による植民地状態に置かれ、ようやく日本国憲法のもとで平和な沖縄がとり戻せると期待した1972年の本土復帰以後も、普天間・嘉手納など33の米軍専用基地が残されている。国土面積の0.6%にすぎない沖縄に、現在も米軍基地総面積の74%が押しつけられているという状況、さらに復帰後だけでも6000件にものぼる米兵の刑事犯罪、度重なる事故や爆音被害により、沖縄の人々の我慢はもはや限界に達しているのだ。
  さらにその怒りの先にあるのは、沖縄の「負担軽減」を口にしながら、米国の基地強化要求に唯々諾々と従うだけの日本政府である。野田政権は「アメリカ政府の方針であり、日本政府がどうしろこうしろという話ではない」と言ってオスプレイ配備を黙認したし、新政権も同様の立場であろう。本来、一国の政府が第一になすべきことは、自国民のいのちや暮らしを守ることである。しかし米軍と沖縄の人々の間に立つ日本政府は、振興補助金という「アメ」を一部の人々に供与することで住民を分断し、またオスプレイ配備という既定路線を知らぬふりしながら高江のヘリパット増設工事を強行するなど、住民をだまし脅す「ムチ」で米軍に仕えるばかりの対応である。一基地の「県外移設」を明言しただけで首相が辞めざるをえなくなる日本という国に、主権と民主主義は実在するのだろうか? 2011年11月に当時の田中聡沖縄防衛局長が、性的暴行に例えて女性と沖縄の人々の人権を愚弄する暴言を吐いたことに象徴される日本政府の本音、およびそれを無関心のまま放置する「ヤマト」の人々への沖縄の人々の不信感は沸点に達している。2013年1月28日に沖縄41の全市町村長や議長、県議らが東京に乗り込み、首相に提出した「建白書」には「オスプレイを配備することは、沖縄県民に対する『差別』以外なにものでもない」とまで言われている。
  福島の原発事故は、巨大利権にからみつく「原子力ムラ」を暴露したが、もう一つの日本の闇部が「安保ムラ」であろう。世界では基地撤去が流れである。2000年に25万人だったドイツにおける米軍兵力は10年間で5万人に減らされ、在韓米軍も3分の1規模に削減されようとしている。それなのに、日本だけは「思いやり予算」年間2000億円を含め、米軍基地をもつ国々の基地負担全額約1兆円の半分以上を拠出するほどの奉仕ぶりである。沖縄の米軍基地と原発は、日米安保体制のしがらみにがんじがらめにされた今の日本の矛盾と行き詰まりを凝縮しているのではないだろうか。大多数の国民から隔離された局地に負担の一切を押しつける「犠牲のシステム」のもとで、政・官・財・メディアによる「日米同盟基軸」と「経済成長最優先」路線にひらすら依存し疑いをもたない思考停止状態、これを私たちがどうとらえ直すかが、日本という国の将来にとっての根本課題ではなかろうか。

≪参考図書≫

前泊博盛著『沖縄と米軍基地』(oneテーマ21、角川書店)
同『もっと知りたい! 本当の沖縄』(岩波ブックレット)
平良修『沖縄にこだわりつづけて』(新教出版社)
由井晶子『沖縄―アリは象に挑む』(七つ森書館)
沖縄人権協会『戦後沖縄の人権史』(高文研)
『この国はどこで間違えたのか―沖縄と福島から見えた日本』(徳間書店)
『これでいいのか 日米安保』(学習の友社)
『オスプレイと日米安保』(安保破棄中央実行委員会)

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