【 書 評 】 『これから「正義」の話をしよう』/マイケル・サンデル/早川書房/2010年

  今年の4月から6月の日曜の午後6~7時に、NHK教育テレビで、「ハーバード白熱教室」という番組が放送されました。ハーバード大学で政治哲学を教える マイケル・サンデル教授の講義全24回を、各回30分に編集して、全12回の番組で放送するというものです。アリストテレス、カント、ベンサム、ミル、 ロック、ヒューム、ルソー、ハイエク、フリードマン、ロールズなど、歴史上の名だたる思想家の政治・経済哲学を紹介する硬派な番組なのに、放送開始後すぐ に、絶大な反響を呼びました。番組はすぐに再放送され、今年の年末にはDVD発売も決定し、8月にはサンデル先生が来日して、東京大学で特別講義するほど の人気ぶりです。
  実は私も大学時代は、哲学科で学んだこともあり、番組を楽しく見たのですが、正直言って、哲学番組が日本でこんなに人気が出るとは思いもしませんでし た。日本人と言えば、「哲学なき国民」というのが大方の見方でしたから。とはいえ、サンデル教授の「正義」に関する講義は、本国のアメリカでも大人気で、 ハーバード大学が大学の歴史上はじめて、テレビでの講義公開を許可したとのこと。また、サンデル教授は大統領生命倫理評議会の委員もつとめました。今回取 り上げる本書は、ハーバードで行われている「正義」の講義を下敷きにしたもので、番組を見た後に本書を読むと、2倍楽しめます。

  前述したように、サンデル教授の取り上げるテーマは、きわめてオーソドックスです。政治哲学(公共哲学)における思想の流れを、①功利主義(最大多数の最大幸福を追求する)、②自由至上主義(リバタリアニズム、個人の自律と自由契約を至上原理とする)、③美徳の追求(あらゆる存在の目的を道徳規準とするアリストテレス哲学)の三つに整理した上で、そのヴァリエーションとして、④自由と義務・権利を、理性的存在としての人間の尊厳に基づいて展開したカント哲学、⑤個人の自律と自由契約を妨げる現実社会の格差に注目したロールズの政治哲学を紹介します。

  特に、ハイエク-フリードマン以降、自由至上主義=自由市場主義に支配されていたアメリカに、公共哲学を復権させたと言われる、ジョン・ロールズ(彼も ハーバードの教授でした)の「正義論」は、私の大学在学中(1979年)に邦訳が出版され、大学でも読書会が開かれていただけに、なつかしく読みました。
  このように正統派の哲学講義でありながら、異例の人気が出たのには、二つの原因があります。一つは、そうした哲学を今日的・具体的なケースに当てはめて 説明したことです。徴兵制と志願兵制度はどちらが道徳的に正しいか。精子や卵子を売買することは正しいのか。同性婚は認められるべきか。アファーマティ ブ・アクション(少数人種優先政策)は逆差別か。イチローや金融会社のトレーダーが莫大な報酬を得るのは道徳的なことか。寄付金によって大学の入学枠を勝 ち取るのは正しいことか。こうした具体的なテーマを取り上げることで、哲学とは机上の空論ではなく、現実の社会を生きるための知恵であることを示すのです。
  もう一つは、徹底して学生に討論させること。次次と学生に意見を述べさせ、それを頭から否定することなく、さらなる議論へと展開させ、いつの間にか歴史 上の思想家の思索へと引き込んでいく、その話術はまさに名人芸! ソクラテスの対話術を現代によみがえらせた-という評判も、まんざら嘘ではなさそうで す。サンデル先生は、「対話によって全員が合意できなくても、対話自体が新たなステップへとつながり、社会を善いものに変えていく力となるのだ」という希 望を、日本でも熱弁しました。

  さて、肝心のサンデル先生の立場は、⑥人間は共同体の中でアイデンティティを育み、共同体への責務を負っている-という共同体主義(コミュニタリアニズム)です。 私としては、コミュニタリアニズムが一番肌に合うのですが、その中身は本書を読んでのお楽しみということで…

柴田 幸範(イエズス会社会司牧センター)

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