【 書 評 】 『無縁社会-“無縁死”三万二千人の衝撃』/NHK「無縁社会プロジェクト」取材班・編著/文藝春秋/2010年

  またまたNHK関係の本の紹介です。こちらもNHKスペシャルを単行本化したものです。2010年1月31日に放送された、「無縁社会-“無縁死”3万 2千人の衝撃」は、ひとり孤独に亡くなり、遺体の引き取り手もない「無縁死」が年間3万2千人と、年間の自殺者数にも匹敵することを明らかにして、大きな 反響を呼びました。NHKはその後も、家族や社会、会社での人間的つながりが薄れる中で起きている、働き盛りの人の引きこもりや児童虐待、都会に暮らす子どもに呼び寄せられ た高齢者の孤独などを、ニュースやワイドショーなどで、シリーズで特集してきました。そうした番組には、高齢者だけでなく30代、40代の若い世代からも、「私も無縁死するかもしれない」という切実な反響が寄せられました。
  こうした反響は、日本で社会的絆がどれほど失われてきたかを、端的に示しています。豊かな国・日本に潜む孤独と不安を実感させる一冊です。

番組の取材班はまず、国が発行する「官報」に、「行旅死亡人」として発表される身元不明の死亡者を追跡することから始めました。「行旅死亡人」とは元々、 路上で行き倒れて亡くなった人のことですが、最近では、家の中で亡くなったのに身元不明だったり、身元が分かっていても引き取り手がないため、行政の手で 火葬されたりするケースも多いのです。
  官報に掲載する料金を節約するため、わずか数行でまとめられた、こうした行旅死亡人の人生を探るうちに、取材班は家族の絆が薄れ、誰でも簡単に行旅死亡人になってしまう可能性がある、「無縁社会」の現実にぶつかるのでした。
  ある男性は、他人の借金をかぶって、家族も故郷も捨て、孤独な暮らしのうちに亡くなります。またある男性は、離婚をきっかけに、仕事も故郷も離れて新た な土地で第二の人生を歩みながらも、無縁死してしまいます。ある男性は、仕事に打ち込みすぎたために家族から見捨てられ、定年退職した今、何とか家族の絆 を取り戻そうとあがいています。
  ある女性は、親兄弟を養うために独身のまま働き続けて、79歳となった今、無縁死となることを恐れて、家族の代わりに葬儀や埋葬など一切を代行してくれるNPOに入会しました。また、高度成長期に各地に建てられた大規模団地では、1人暮らしの高齢者が激増し、死後しばらくの間、誰にも気づかれない孤独死が大きな問題となっています。
  さらには、死後、引き取り手もなく、病院の献体に回される遺体。あるいは、行政や清掃業者から送られてきた遺骨を引き取り、納骨堂で供養する富山県のお 寺。葬式も行わずに、火葬場で家族だけでお別れする「直葬」。血縁のない他人が同じ墓に入る「共同墓」。こうした死のあり方の変化は、そのまま家族のあり 方の変化を表しているのです。
  こうした家族のあり方の変化は、社会の変化にともなうやむを得ない変化である一方、私たち自身が選択した変化でもあります。「家族だからと言って迷惑をか けたくない」という言葉が、取材した人たちの多くから聞かれます。それはつまり、「家族に縛られたくない。自分らしく生きたい」という個人主義を、私たち 自身が選び取ってきたことの裏返しなのです。私たちは今さら、古きよき時代の温かい家族を取り戻すことはできないのかもしれません。
  だからこそ今、家族以外の新しい絆を求める人が増えています。ルーム・シェアする若者たち。老人ホームに入るのではなく、自分たちで家を借りて共同生活する高齢者たち。そして、前述のように葬儀や埋葬を代行するNPO。日本人は必死に、新たな絆を探し求めているのです。
  野宿、幼児虐待、引きこもり、いじめ、自殺、うつ病…。今、日本の社会を覆うさまざまな問題の多くが、従来の人間関係が切れてしまったことから起こっています。それこそが、20世紀後半のグローバルな自由市場主義の影響だと指摘する学者もいます。それはともかく、そうした人間関係の切れた日本社会に、新たな絆を提案していくことこそ、キリスト教をはじめとする宗教の務めではないでしょうか。私たちはそれを見出しているでしょうか?

柴田 幸範(社会司牧センター)

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