<<社会の窓から② 》私と社会使徒職

小山 英之(上智大学)

  これから書こうとしていることは、イエズス会司牧センターの移民デスク、エコロジーと今回の惨事を機とする日本の新生についてです。

  これまで上智大学で「平和学」という授業を担当してきました。「平和」とは、戦争がないことだけではありません。貧困や社会的差別、環境破壊の渦中に あっては平和とは言えない、といったことを扱ってきました。この数年間「難民」のテーマを扱う時には四ツ谷の難民支援協会の方に来ていただいて講義をして いただき、またグローバル・コンサーン研究所(旧社会正義研究所)がこの30年間アフリカ難民を中心に支援してきたソフィア・リリーフ・サービスの担当者 として、ケニアのカクマ難民キャンプを視察し、学生たちとカトリック東京国際センター(CTIC)の有川憲治さんからお話を聞いたり、難民の方々と交流を したりするうちにイエズス会司牧センターの移民デスクを手伝うようになりました。
  自分の平和学は、北アイルランド紛争の研究から始まりましたが、昨年11月の茨城大学での日本平和学会「非暴力と脱『開発』による永続可能な社会への変 革」に出席して以来特に環境保護について考えてきました。そこでのパネリストの2人が書いた小さな本(C.ダグラス・ラミス、辻信一著、『エコとピースの 交差点』、大月書店、2008年)は示唆に富んでいます。産業革命のときにいろいろな発明があったけれど、一番たいせつな発明は経済発展という概念そのも のの発明だった。その概念がいつの間にか一種の宗教みたいに祭り上げられて、今ではそれが社会の目標であるかのようになってしまった。かつて人類がもって いた自給自足や地域型経済などの重要なコンセプトを投げすててしまった。「地球温暖化に対する戦争状態では、原発反対派を簡単につぶせると思っているんで しょうね。原発産業は大喜び。大企業のやりたい放題の状態になっていく(140頁)。ある国では、先住民たちは必要なものみな森林と海にあって満足してい た。それでは困るというので森林を伐採した。そしてそこにゴムや砂糖のプランテーションをつくった。先住民はそこで仕事を求めるしかなくなった。

  ごく自然なプロセスであるかに見える近代化、開発や経済発展の背後に実は強制的で暴力的な力が働いていたことがよくわかりますね」(163頁)。英国保守 党の党首デヴィッド・キャメロンが、提唱しているGWB(General Well-Being)という幸福の基準があります。「GWBを高めるために特に重要な要素としてキャメロンが3つ挙げたのは、ひとつは家族と過ごす時 間、2番目は自分が住んでいる地域の自然環境、3番目が自分が属しているコミュニティの中で果たす役割。彼はこれまでの『豊かさ』優先の政治や経済を止め て、人びとの幸福を高めることを政治の目標にしなければならないと主張して、それを『幸せの政治』と呼んでいる」(173頁)。

  そういうことを考えていたときに天災と人災の共鳴とも呼ばれる大惨事。上記のような大風呂敷を広げた議論は夢物語のように思われるどころか、復興だけで は足りない、日本が新生するという覚悟でリセットしなければならないという意見が出てくるようにさえなってきました。4月28日の東京新聞の『筆洗』は ビートルズのヒットナンバー『ゲット・バック』(帰れよ、帰るんだ、元いた場所へ)に言及し、「自然が創造した猛々しい力さえも制御できると考えたのは傲 慢だった。私たちが<元いた場所>のことを考えてもいい。」と結んでいます。
  「わたしの魂よ、主をたたえよ」ということばで始まる詩篇104は「人は仕事に出かけ、夕べになるまで働く」と詠っています。エネルギーを大量に消費し て過労死する生き方を改め、自然と調和して生きるあり方に戻りたいものです。地方を差別して過度の負担を強いず(地方差別の最たるものが沖縄の基地問 題)、地方の商店街を復興させ、自然エネルギーを主としてエネルギー源とするあり方は可能なはずです(環境省は、風力発電が最大で原発40基分の発電を見 込めると発表。4月22日付朝日新聞)。
  第2の母国の日本社会の一員として被災地の人びとのためにできる貢献をしたいという思いを持っている難民と外国人たちと一緒に4月30日から難民支援協会が企画する「難民と一緒に被災地支援を行いませんか?」に行ってまいります。

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