【 書 評 】『道徳を問い直す~リベラリズムと教育のゆくえ』 河野哲也著/ちくま新書/2011年

  社会司牧通信の156号(2010年11月)で、マイケル・サンデルの『これからの正義の話をしよう』(JUSTICE: What’s the Right Thing to Do?)をご紹介しました。今回は、日本の倫理学者が書いた道徳教育についての本をご紹介します。「サンデルの哲学に、欠けているもの」(!)という キャッチ・フレーズで、日本人の道徳観と道徳教育のあり方に異議を唱え、新しい道徳教育を提案しています。
  実は、3月11日(東日本大震災の当日!)に当センターで、「イエズス会教会使徒職の共同推進チーム」(Jesuit Pastoral Apostolate Collaboration Team: JPACT)との会議があり、会議に参加したイエズス会学校の先生から、「ぜひ、この本を書評で紹介して下さい」と言われて、読んでみたらとても面白かっ たので、ご紹介したいと思います。

  サンデル先生は道徳哲学を、①最大多数の最大幸福を追求する功利主義、②個人の自律と自由契約を至上原理とするリバタリアニ ズム(自由至上主義)、③あらゆる存在の目的を道徳規準として、美徳を追求するアリストテレス哲学、④理性的存在としての人間の尊厳に基づいて自由と義 務・権利に関する理論を展開するカント哲学、⑤個人の自律と自由契約を妨げる現実社会の格差を是正しようとするロールズの政治哲学-に分類します。そし て、サンデル先生自身の立場は、⑥人間は共同体の中でアイデンティティを育み、共同体への責務を負っているという共同体主義(コミュニタリアニズム)で す。
それに対して筆者は、「共同体は必ずしも道徳性を育むとは限らず、日本社会では反対に、共同体は個人を抑圧し、社会から疎外する方向に働くことが多い」と異議を唱えます。
  そして、従来の日本の道徳教育が、道徳から政治色を排除し、もっぱら心の問題のみを取り上げてきたことを批判して、「人権の核心は自由・自律と平等にあり、道徳教育は、この自由・自律と平等を保証する政治体制である民主主義の本質を教えなければならない」と主張します。

  ところで、「自由・自律と平等」といえば、近代のリベラリズム(自由主義)の旗印です。しかし、筆者は、近代リベラリズムが「個人主義と画一化」に陥っ ていると指摘して、自律した個人として共同体に依存することなく、同時に他者のニーズに共感して共同体を変革することを恐れない、「シチズンシップ」(市 民性)を育む教育こそが、現代に必要とされている道徳教育だと述べます。
  具体的には、①政治リテラシー(政治に関する情報を理解し、判断し、行動する能力)教育、②ボランティア教育やサービス・ラーニング(学習と奉仕の融 合)、③他者(特に疎外された人々)に対する共感能力を育む教育-などを挙げています。いずれにしても、道徳教育の最終目的とは、具体的な徳目(美徳)を 列挙して、それを生徒に押しつけることではなく、他者との交流の内に実現すべき道徳目標を見いだし、その実現のために努力する方法を教えることであると、 筆者は主張するのです。

  東日本大震災を受けて、今、日本では、「一つになろう」「頑張ろう」「他人を思いやろう」という道徳キャンペーンが盛んです。それ自体は悪いことではな いのですが、たとえば原発事故に関して東京電力を批判すると、「東京電力だって、事故を収束させるために頑張っているのだから、今は批判すべき時ではな い」という意見が出たりします。「一つになる」「頑張る」ことそれ自体が目的となってしまい、「誰のために」「何のために」「どんなふうに」頑張るのか、 一つになるのかが、あまり議論されていないように思います。
  でも、菅首相が言うように、「元の日本に戻すのではなく、新しい日本を創りあげる」ことが求められているのなら、原発の是非や地方自治のあり方などを含 めた政治的な議論は欠かせません。今こそ私たちのシチズンシップ(市民性)が試されている、と言ってよいのではないでしょうか。

【イエズス会社会司牧センター/柴田幸範】

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