異宗教間の出会い:インドネシアの体験

ヘル プラコサ SJ

  2008年1月、アメリカのバークレー市にあるイエズス会神学校(JSTB)の学生12人と教授2人が、イスラム教の研究に関わる体験プログラムを実施するために、インドネシアに3週間滞在した。その間、彼らはサナタ・ダルマ大学の神学部の学生数人と職員に同行してもらった。彼らは多くの興味深い経験をした。例えば、彼らが中央ジャワ州の2つのペサントレン(寄宿制のイスラム教学校)に滞在した時がまさにそうだった。      
  一番目のペサントレンでは、アメリカ人の仲間たちはしばし大変つらい時があった。というのはペサントレンの聖職者と学生、そしてその他の場所からも数百人のイスラム教徒が、神学的な討論の形で、彼らを質問責めにしたからだ。実際、彼らは本当に悪夢を見た。
  その次の日、彼らは最初のペサントレンから車で15分ほど離れたところにある別のペサントレンを訪問した。この二番目のペサントレンにあっては、状況はまったく違っていた。彼らはそこで暖かく迎え入れられ、自分たちの考えをとても穏やかに一緒に分かち合うことができた。このことはインドネシアにおいて、異宗教との出会いの難しさと複雑さを、はっきりとあらわしている。1999年から2000年に、多くのイスラム教徒とキリスト教徒が、モルッカ諸島で殺し合いをした。それにも関わらず、同時に多くの人々が、双方のために人道的援助をするために立ち上がり、努力した。思い出されるのは、25才のイスラム教徒の若者Riyantoが、イスラム原理主義グループの爆破攻撃から東ジャワ州のモジョケルトにある教会を守ろうとして、殺されてしまったということだ。覚えておくべきなのは、インドネシアは、宗教、民族、人種、文化、言語、などの点における大いなる多様性という特徴があるということだ。インドネシア中央統計局によると、宗教に関しては、人口の88.22%がイスラム教徒、5.83%がプロテスタント、3.05%がカトリック、1.81%がヒンドゥー教徒、0.84%が仏教徒で、そして0.2%はその他の宗教のメンバーであると自称している(先住民の伝統的な宗教の信仰者も含む)、と報告されている。アジアのための特別な司教会議シノドスの総事務局の中に設けられた、会議後のために任命された委員会のメンバーに、ヨハネ・パウロ2世は次のように勧告した。「アジアのカトリック教徒は、多民族、多宗教、多文化といった文脈においては、小さな一群にすぎない。キリスト教はしばしば外国のものと思われている。そして対話することは、アジアの教会において、典型的なことである」。

では、イエズス会士の養成において、異宗教間の出会いの炎は、いかにして燃え立たせることができるのだろうか?

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