《 社会の窓から④ 》「いのちの文化」と「死の文化」

ビセンテ ボネット SJ(カリタス女子短期大学教授)

  今年の当センター主催、麹町イグナチオ教会で行われている、社会問題とカトリック教会の考えについての連続セミナーのテーマは、「いのちの文化」と「死の文化」です。
  私は毎年、「カンボジアの友と連帯する会(かんぼれん)」というNGO主催のスタデイ・ツアーでカンボジアを訪れています。そこでまさしくこの「死の文化」とその結果、そして希望をもたらす「いのちの文化」が、明白に見えるのです。
  1975年4月17日、ポル・ポト軍は首都プノンペンに凱旋しました。その後、1979年までの3年8か月あまりの間、ポル・ポト政権によって300万人 以上の人々が殺されたと言われていますが正確な人数はわかりません。プノンペンから数キロ離れたところにひとつのキリング・フィールド(虐殺の原っぱ)と 呼ばれる場所があります。そこで、多くの教師、医師、芸術家、警察官など、教育を受けていた人々は、残酷な拷問を受けてから処刑されました。その人々の遺 体が埋めてあった穴も見えるし、亡くなった人々のことを忘れず彼らのために祈るように、入り口の真正面にある慰霊塔の中に多くの頭蓋骨が保存されていま す。まさしく「死の文化」とその結果の現われです。
  また、ポル・ポト軍がプノンペンから追い出された1979年から1998年まで、内戦がつづ きました。その間、ポル・ポト軍、政府軍、そしてそれぞれの軍を支援していたベトナム軍やアメリカ軍などは、数えきれないほどの地雷を埋めました。この地 雷と不発弾は、今もなお何百万個残っていると言われています。
  そしてその被害によって障がいを背負わなければならない犠牲者は、増える一方です。「死の文化」の結果はなかなか終わりません。
しかし今のカンボジアには、「死の文化」の爪痕が残っているのと同時に、希望をもたらす「いのちの文化」が、ますます強くなっています。
たとえば、プノンペンには、イエズス会サービスカンボジア(JSC)が運営している「鳩センター」という障がい者のための技術訓練校があります。そこで 毎年、背負わされた障がいによって、生きる希望と自己の尊厳を見失っていた100人前後の人々が、共同生活をしながら、読み書きの勉強から始まって、自転 車、オートバイ、ラジオ、テレビの修理やその他の技術訓練を受けます。ほとんど皆、自己の尊厳を取り戻し、就職するかまたは自己営業の小さな修理所を始めます。
  また同プノンペンには、JSCとかんぼれんの支援にささえられた、慈善修道会が運営している「慈善の光 子どもの家」があります。そこで、いろいろな障 がいを背負っている30人以上の子どもたちが、共同生活をし、教育を受けながらお互いにサポートし合っています。そこを訪れる度に、子どもたちの笑顔から あふれ出る、いのちの力を感じずにはいられません。
  その他にも、JSCが行っている数多くのプロジェクトがあり、その内かんぼれんが支援しているものもあります。それらすべてを通して、「死の文化」に打ち勝つ「いのちの文化」を強く感じます。

Comments are closed.