東日本大震災ボランティアから考える「共同体」―カトリック教会という共同体を中心として

山内 保憲 SJ

  カリタスジャパンのボランティアだけでものべ3000人以上が被災地に赴き、今なお地道な活動が続いている。不眠不休でボランティアセンター立ち上げに尽力してくださった方々、シスターズリレーなどボランティア活動を支え続けてくださった方々、ボランティアとして活動された方々の努力に感謝と賞賛の気持ちを伝えたい。

  今なお被災地で困難な状況にある方々がいる。決して被災者の支援の必要とその支援活動が終わったわけではない。しかしながら、東日本大震災から8ヶ月以上経過しようとしている今、この8ヶ月間の歩みを振り返ることも重要である。

 

  私はこの記事を、カトリック教会の一員として、そしてボランティア活動に参加した者として、またかつてボランティア支援を受けた立場として書きたい。1995年の阪神・淡路大震災で、当時大学生だった私の家族も大きな被害を受け、かつて私は「被災者」であった。当時、私は私の所属していたカトリック教会の主任司祭に腹を立てていた。ボランティア元年とも呼ばれた神戸の震災では、震災直後から多くのボランティアが日本中から集まってきたのだが、多くのグループが宿泊先に困っていた。幸い建物の被害は免れていた私の小教区聖堂は、多くのボランティアから宿泊場所としての利用依頼があったが、主任司祭は一切の部外者の依頼を断ってしまった。

  非協力的な主任司祭の態度に対する不満を、ある別の司祭に相談したところ、逆にそれまで私がどのように教会に関わってきたのかを反省しなければならないのではないかと諭された。つまり、震災前から私が、主任司祭に一切を任されるぐらいまでコミットメントしていれば、非常時においても私の意見を主任司祭は聞き入れたに違いないと指摘されたのだ。確かに震災直後は家族のことなどで手一杯で、教会に行って何か手伝いをする、教会のメンバーのために何かするという意識は全く無かった。 大きな災害はその地域に大きなダメージを与えるが、同時にその地域がもともと持っていた問題を明らかにする。私の場合は、信徒として教会という共同体にどう関わっていたかいう問題が明らかにされてしまった。災害の直後というものは、苦しんでいる被災者に対して、被災者や被災した地域の問題点などを指摘する人は少ない。しかし、私たちが本当に災害から受けた苦しみや悲しみを、ただ苦しみや悲しみで終わらせるのではなく、これからの私たちへのメッセージとして大切にしていこうとするならば、多くの被災者やボランティアが体験したこと、感じた問題点を見つめることこそが最も重要と感じるので私は正直に感じたことを書き留めておきたい。

  カリタスジャパンのボランティアベースを立ち上げるために、震災から2週間経った3月24日、私は石巻カトリック教会にたどり着いた。到着後4日目の3月27日が震災後から3度目の日曜日であった。多くの信徒が教会にやってきて、震災後初めて再会する人たちが多く、涙しながら抱き合う姿が見られた。その後、何人かの信徒の家の片付けを手伝った。2週間経っていたが、どの家もまったく住めるような状況ではなかった。この2週間もの間、どうしてこの人達は教会(教会の建物は津波の被害を受けていなかった)に集まらなかったのだろう、という疑問が生じた。16年前の神戸で私が経験したことと同じように、教会が共同体としてうまく機能していなかったのではないかと感じたのである。私たちの教会は、本当に困った時に、共に集まる場所ではなかったのだ。

  震災後1ヶ月ぐらいだろうか、1000億円以上集まった義援金がうまく地域に行き渡らないという問題があった。地域が壊滅的な被害を受けている時には行政 官僚的なシステムも破壊されているために、義援金の分配といったシステムが機能しないことが問題となったのだ。システムが機能しない時に重要となるのは、地域にもともとある共同体、組織という単位である。多くの寺などが私設の避難所になり、地域のコミュニティーの中心となったことなどが報道された。システムに依存しない地域の人と人のつながり、コミュニティーの重要性が見直された。多くの宗教者は「試されている」という意識を持ち、また旧来の地域コミュニティーを失いつつある地域住民からも新たなコミュニティーを支える存在に期待がかかっていた。そこで多くの宗教者はNGO、NPOらと共に被災地に入っていった。

  しかしながら、突然部外者が地域のコミュニティーの中心になることはできない。地域にもともとある共同体が必要なのである。しかも災害が起こる前に、その地域において、その共同体がどのような関係性を築いていたかが問われる。5月には陸前高田市で地域住民が自ら立ち上がって「朝市」を開いた。実行委員長をされた橋詰真司さんは「震災の前からどうやれば地域に雇用が生まれるかって仲間と模索してきたのです」と話された。その仲間が、お互い被害を受けながらも集まった時に、地域に元気を与える活動をすぐに行うことができたという。災害の前から、このままでは地域の産業がダメになるという危機意識を持っていた人たちの連帯が、非常時においても行動力となったのだ。

  石巻、宮古のボランティアベースで、のべ4ヶ月以上もボランティア活動を続けられた佐久間力氏は「最も大事な事は、やはり被災地の人たちが恐れているように「忘れられる事」が怖いと思います」とメッセージを送ってくださった。また「この震災をただの震災としないで、またこの原発事故をただの事故としないで何とか新しい道への神様がくれたチャンスとして生かさなければいけませんね」とも語ってくださった。重要な指摘であると思う。ボランティア活動をやって、物資を送って、それで終わらせて忘れてはいけない。ボランティア活動を通して気づいた問題点を各地に持ち帰り、そこから行動を起こしていくことが大切ではないだろうか。

  私はボランティア活動からの問題提起として「あなたは災害が起きた時に、あなたの所属している教会共同体にまず集まりますか?」という問いかけをしたい。この問いは、教会に所属しない人であれば「あなたは災害時に集まれる共同体がありますか」という問いに置き換えることもできるだろう。その共同体は、災害の起こる前から各地域において共通した問題意識を持って連帯していなければ、何の意味も持たない。災害は突然、平穏な生活を送っていた人々を社会的に底辺の生活困難者に追いやる。平穏な時に、社会的に底辺にいる人々、困難を抱えている人々と共に歩んでいない共同体は、非常時の困難も共に歩むことはできない。あなたは、あなたの住んでいる地域で、地域の抱えている問題、特に社会の谷間に置かれている人々に対してどのように取り組んでいるだろうか。遠く離れたアジアやアフリカの貧しい人々への支援、震災で苦しむ人への支援はやりやすいが、身近なところにいる生活困難者とは距離があるということはないだろうか。

 
  まずは足元の共同体を見つめ直してはどうだろう。本当に東北の被災者と連帯するというのならば、私たちはまず足元の共同体をしっかりと築いていくべきではないだろうか。苦しむ人と共に行動できる共同体を作ること。それが今回の震災で多くの人が受けた苦しみを意味のあるものにするために私の考えていることである。

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